東南海地震・津波の話

森本一利さん(85)祝子さん(82)夫妻
2010年4月

東南海地震での津波の話

午前中の仕事を終えて昼休みのころ、揺れは襲った。
「しこを踏むように踏ん張らないと倒れそうやった」。

仕事場の2階の踊り場に備えてあった防火水槽が、
地震で倒れて滝のように水が流れてきた。

外に避難すると、
コンクリートではない土砂の道が揺れででこぼこに変化し、
腰を抜かしたおじいちゃんが四つん這いではっていた。

午後の仕事は休みになり、中村山の上に避難した。
山の上から津波が押し寄せるようすを固唾をのんで見守った。
「天満浦の防波堤がいっぺんにすぽっとなくなった」。
それだけ一気に海面が上昇した。

尾鷲湾内に停泊していたカツオ船が陸に乗り上げ、多くの家がつぶされた。
当時は長久丸冷蔵の土地に紀州ミカンの缶詰工場があり、
湾内に波にさらわれたミカンが浮いて、黄色い渦を巻いていたという。

家がつぶれたとき、土壁の土が煙のように上がった。
「ものすごい景色やった」と振り返る。
煙がなくなるのを待って、位牌を取りに帰った人が大勢いたが、
その多くは第2波にさらわれてしまった。