【2014年ノーベル物理学賞】ストックホルムに来ています②晩餐会編



ストックホルムで10日に開かれたノーベル賞の授賞式。前回のブログでは授賞式の様子をお伝えしましたが、その後に急いで車に乗り込んで向かったのは「市庁舎」での晩餐会。今回のブログでは、晩餐会の話題を中心に、現地からお伝えしたいと思います。

天野先生の隣は王妃様!

晩餐会の会場は、市庁舎の「ブルーホール」と呼ばれる大広間。1300人が集まりました。当日の会場には、私はもちろん入れませんでしたが(念のため入りたいとメールは送ってみました)、翌日の11日に中に入って取材できました!


天井は突き抜けるように高く、壁一面に広がる赤煉瓦が壮観。2階から広い階段が伸び、大きく折れ曲がって1階に降りています。晩餐会の当日は、この階段の先に受賞者や王宮の方たちが座るための、広間をぶち抜くながーーーい机が。さらにその両脇に、参加者たちが座る机が並べられていました。

地元では「誰がどこに座るか」が話題に。スウェーデンで最も発行部数が多い新聞「Dargens Nyheter(ダーゲンス・ニュヘテル紙)」では、イラストを付けて説明していました。


気になる3人の席は、天野さんがなんとシルビア王妃の隣。地元の公共テレビ局による生中継の映像では、何度もこの2人のツーショットが映し出されていました。最初は天野さんの緊張感が伝わってきましたが、途中からはリラックスしたようで、いつものほがらかな笑顔でした。


一方、中村先生の隣は、(日本で話題になっているらしい?)天野先生の奥様。晩餐会のプログラムは3時間を超えるため、赤崎先生は体調を考慮してメインのテーブルには座りませんでした。

一夜明けたブルーホールへGo!


一夜明けた11日、市庁舎のブルーホールに向かいました。外観も赤レンガが美しいです。


さっそく中に入ると、晩餐会の余韻が残る会場で、照明や音響などの器具の片付け作業が進められていました。


2階への階段を登ったその先には・・・


晩餐会の後にダンスパーティーが開かれた「黄金の間」。名前の通り金色に輝いていました!まぶしい!


壁に近寄るとこんな感じ。1cm四方の石が集まっています。


晩餐会で料理を運んだサーバーの方たちにも出会いました。


晩餐会で振る舞われた料理の食器。きれいですね〜。

ホテルで思わぬ人に遭遇!


さて、続いて向かったのは、ノーベル賞の受賞者たちや家族が宿泊する「グランドホテル」。入り口にたどり着くと、日本から来た記者やカメラマンに遭遇。というわけで、しばらく一緒に待ってみました。(ベルボーイの制服がかっこいい!)


気温2℃、さらに水辺の近くなので風が強いという状況で待つこと2時間。現れたのは・・・赤崎先生!


これから日本にお帰りになるようです。さっそく囲み取材に混ざります。記者「メダルはどうですか?」赤崎先生「重いです」。のような日本で放送されているであろうやりとりが終わった後、赤崎先生が私の目を見て一言。「昨日まで時差ボケで、あまり話せずにすいません・・・」。私「お元気そうでなによりです。ありがとうございます」。最後はほほえみながら、車に乗り込みました。








【2014年ノーベル物理学賞】ストックホルムに来ています



青色発光ダイオードの発明での物理学賞の受賞で、大いに湧いたノーベル賞。発表から早くも2カ月が経ちましたが、福田大展の熱はまだまだ冷めていません! というわけで、授賞式の雰囲気を間近で感じたくて、ストックホルムに来ちゃいました! 今回のブログは、現地から採れたての情報をお届けいたします!

【目次】

いざ!ストックホルムへ!

ヘルシンキから大型フェリーに揺られること17時間半。ストックホルムには、海の玄関口から入りました。現地時間10日午前9時30分、気温は2℃。どんよりと分厚い雲に覆われています。折り畳み傘が裏返るほどの風が吹き、横殴りの冷たい雨が顔に打ち付けます。いきなり北欧の厳しい自然の洗礼を受けました。寒い!


賑わうノーベル博物館

授賞式は午後4時30分から。始まるまでに時間があったので寄り道をしました。向かった先は「ノーベル博物館」。これまでのノーベル賞の歴史を記録して展示しています。この日はアルフレッド・ノーベルの命日なので、「Celebrate the Nobel Day!」と書かれたポスターが貼られて、無料で入れました。(ラッキー!)


特別ツアーには、40人を超える人だかりで大人気でした。


カフェの椅子の裏には・・・

この博物館では、開館当初からずっと続けられていることがあります。それは・・・「カフェの椅子の裏に受賞者がサインをすること」。2012年に生理学医学賞を受賞した山中伸弥先生も、2009年に平和賞を受賞したオバマ大統領もサインをしました。そして、今年物理学賞を受賞した3人のサインもありました!黒い椅子の裏に、白いペンではっきりと書かれています。


「受賞式の後しばらくたったら、カフェの椅子として普通に使われるよ!」と受付スタッフの男性。つまり・・・今カフェで使われている椅子の裏のどこかに、山中先生などの過去の日本人受賞者のサインがあるはず! すべてひっくり返して探したい! しばらくタイミングを伺うも、この日は常に満員で空いている椅子がない・・・。


メダルがざっくざく

続いてショップに向かうと、なにやら神々しい光を放つ眩しい一角が。


おお!これは、ノーベル賞のメダル!・・・の形をしたチョコレート! 山中先生がお土産に1000枚買ったという、話題の商品です。ほかにも、今年の受賞内容の特設コーナーがあり、LEDライトなどが置いてありました。

いよいよ受賞式の会場へ

さて、いよいよ受賞式の会場であるコンサートハウスへ。周囲には警察のバリケードが張られはじめていました。


午後3時15分。辺りが暗くなり始めてきたころにライトアップ!(この時期のストックホルムは、午前9時ごろに太陽が昇りはじめ、午後3時ごろには沈んでしまうんです!)正面にそびえる10本の立派な柱には白いLEDが。壁は青色LEDで照らされていました。


午後3時30分。受賞式まで1時間を切り、多くのリムジンバスが到着。燕尾服やドレスを身にまとった参加者たちが、続々と集まり始めました。中には、3人の受賞者の親族だと思われる着物姿の参加者もいました。


三者三様の水彩画

午後4時30分。受賞式が始まりました。中には入れないので、ノーベル財団のライブ中継に食いつきます。物理学賞がメダルを渡されるのは一番最初。赤崎博士、天野博士、中村博士の順番で手渡されました。


渡されるのはメダルだけではありません。「Diploma」と呼ばれる味のある証書も一緒に添えられます。証書の左側には三者三様の水彩画。街灯のLEDの明かりに照らされる町の様子が描かれています。


晩餐会の会場へ

夢のような時間はあっという間に過ぎ去りました。受賞者たちは受賞式が終わると、晩餐会の会場に向かいます。車に乗り込む瞬間に取材しようと出待ちする日本人の記者やカメラマンに混ざり、私も待ちます。


「It's so cold!」。私が隣のカメラマンに声をかけると、「Stockholm is always cold. ha ha!!」と返されました。そのとき、赤崎先生が現れました!疲れていると思いますが、優しく手を振ってくれました。


車に乗り込んで向かう先は、晩餐会の会場の「市庁舎」。続きは次回。お楽しみに。





高見幸子

自然享受権

自然享受権の良いところは、「自然はみんなのもの」という考え方があるので、レクリエーションで人々が訪れることを踏まえて、海岸沿いや湖畔は私有地にさせないようにして、みんなが美しい自然を楽しむことができるようにしているところ。

そして、権利がある一方「所有者が住んでいる近くに行ってはいけない」「栽培しているものをとってはいけない」「ゴミを捨てたり、自然の動植物に配慮しなければならない」といった義務もある。そのような自然との付き合い方を教えるのが「森のムッレ教室」の役割。

森のムッレ教室

5~6才の子どもたちを対象とした自然教育プログラム。知識を教えるだけでなく、自然を体験し観察することを学ぶ。

 ●五感を通したエコロジーの学び
 五感をフルに使った活動、歌、遊び、ゲームなどがムッレ教室の特徴。五感を通してであれば、5~6歳の子どもたちは、「光合成」や「自然循環」などといった概念を自然に理解できる。

●「ムッレ」というファンタジー
 5~6歳は、空想をめぐらすのがもっとも活発な時期。「ムッレ」との出会いに、子どもたちはワクワク感でいっぱいになります。ムッレを通して子どもたちに語りかけることで、自然を大切にしようというメッセージを子どもたちに分かりやすく伝えることができます。そして、このときの楽しい体験は、一生の宝物となります。

●自然の案内人「リーダー」
 子どもたちを野外に連れ出して野外活動を進めるのが「リーダー」。リーダーは、プログラムを組み立てるほか、子どもたちが自然のなかでさまざまな発見をする手伝いをしたり、エコロジーを学ぶための歌やゲームを率先したりします。リーダーには、そのためのスキルや知識がなければなりません。野外生活推進協会は、リーダーを養成するために「リーダー養成講座」を開催しています。この講座を受けたリーダーは、地域や保育園で森のムッレ教室を開くことができます。
→【Check!】野外生活推進協会のリーダー養成講座

「ムッレ」とは、森に棲む妖精の名前。語源はスウェーデン語の「Mullen(ムッレン)・土壌」です。土は地球上のすべての生物の命の根源であり、人間もまた土とつながっているのだということを伝えたいという願いが込められています。スウェーデンの市民団体「野外生活推進協会」が1965年に始めた。ヨスタ・フロムとスティーナ・ヨナンソンによって開発されたこの自然教育プログラムは、スウェーデン国内の保育園に導入されながら全土に広がり、今日までに200万人もの子どもたち(スウェーデン人の5人に1人)がムッレ教室を体験するまでになっています。
なぜこんなに多くの子どもたち参加できるのか
どんシステムなのか? 保育園にどのように導入しているのか?

さらに「森のムッレ教室」は海を渡り、現在では、ノルウェー、フィンランド、ドイツ、ラトビア、ロシア、イギリス、ヨルダン、韓国そして日本の9カ国で実践されています。日本野外生活推進協会の本部は兵庫県丹波市にあり、日本では東京支部を含めて8の支部が活動を展開しています。

ロゼッタ・フィラエ

概要

欧州宇宙機関(ESA)の探査機「ロゼッタ」が投入した小型着陸機「フィラエ」が、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に着陸した。探査機が彗星に着陸するのは初めて。ロゼッタは2004年に打ち上げられ、10年かけて65億㎞の旅を経て彗星にたどり着いた。

チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は長さ4㎞、幅3㎞。彗星は、小惑星とともに、「太陽系の化石」と呼ばれ、太陽系誕生のころの物質を保存していると考えられている。惑星系や地球の海や生命の起源につながる貴重なデータが得られるかもしれない。

思うように着地できず!

フィラエは着陸地点を慎重に選んだ後、高度22.5㎞のロゼッタから分離。約7時間かけて彗星に着陸した。(着陸ポイントの名前は「アギルキア」)計画では、探査機上面のガスジェットを噴かし、機体が跳ね上がらないように地表に押しつけながら、銛を打ち込んで固定する予定だった。しかし、ガスジェットが噴かず、銛も打ち込めなかった。機体は大きく2回バウンドして、目標から2㎞ほど離れた地点に着地。着陸場所がくぼ地の縁だったとみられ、3本脚の2本だけが地表に着き、1本は宙に浮いている。彗星の重力はとても弱く、表面から噴出する塵やガスによりフィラエが飛ばされてしまう恐れもある。



電池が切れる!おやすみフィラエ

内蔵電池の寿命は64時間。その後は太陽電池で発電する計画だったが、思ったようにいかなかった。太陽の光を7時間浴びる予定だったが、現地点では1時間半しか浴びることができない。フィラエの向きが予定と違うせいとみられる。ESAはその後、より太陽光が当たるようにフィラエの姿勢を35度回転させる操作をしたが発電できず。

日本時間の15日午前に通信を絶ち、休眠に入った。今後はロゼッタが上空20~30㎞を周回して見守りながら、充電を繰り返すフィラエに「話しかけ」ながら暖かく見守る。来年8月には、太陽に最接近する。復活のチャンスかもしれない。フィラエが再び目を覚ます日を、静かに待ちましょう。

フィラエが届けたデータ

フィラエは電池が尽きるまでの時間と闘いながら、地表の物質や表面付近のガスのデータを集めた。彗星から出ているガスの分析では水や二酸化炭素、メタンなどが検出された。また、「転倒」のリスクを覚悟の上で、地下サンプル採取用ドリルを稼働。壮絶な闘いをしながら、彗星の核から直接獲得したデータを、ロゼッタ経由で全て地球に送り届けた。

また、着陸を待つことなく多目的センサー「MUPUS」で彗星周辺の環境観測を開始していた。MUPUSの一連の機器のうち温度計や加速度計は、発射に失敗した機体固定用のくい(銛)といっしょに収納されていたため、残念ながらそれらのデータは得られなかった。だが機体に取り付けられていた温度分布図作成器は、下降中および3回のタッチダウンの最中にも測定し続け、フィラエの最終着陸点の温度は摂氏マイナス160度より低いことがわかった。

土壌サンプルや気化しやすい化合物の分析を行う「COSAC」からは、着陸直後に大気中の有機分子が検出されている。

プローブ(探針)は塵の層に刺さり、さらにその下の層に進んだが、モーターのパワーを最大に上げても数mmより深く打ち込むことはできなかった。「実験室における計測データと比較してみると、かちかちに凍った氷くらい硬い層に出くわしてしまったと思われます」(MUPUS主任研究員のTilman Spohnさん)という。

温度分布測定とプローブの打ち込みの結果から、彗星表面は厚さ10~20cmの塵の層で覆われ、その下には氷、または氷と塵の混合物の硬い層があるという初期評価が下された。ロゼッタの観測から彗星核全体では低密度であることがわかっているので、さらに深いところでは氷は隙間の多い、すかすかな構造と思われる。

「今後じゅうぶんな電力を得てMUPUSが再び作動すれば、プローブが差し込まれた層を直接観測でき、太陽に接近するにつれて起こる変化を見ることができるでしょう」(Spohnさん)。


▼調査の計画
パノラマ写真撮影やドリルで深さ20cmほどの地表サンプルを採取、電波探査装置を使った内部構造の探査など初期の調査を行う。彗星は、現在、火星と木星の軌道の間にあるが、来年8月に火星の軌道の内側まで太陽に接近する。太陽に近づくにつれて変化する表面の様子を観測する。一方、ロゼッタは彗星の周囲で、彗星から放出されるガスやちりを測定し、太陽接近時の彗星の活動の様子を観察する。

コメント

「小惑星に比べて、彗星は多くの水を含んでいる。地球にある海の水の起源や太陽系初期の様子を知る、重要なデータが得られる可能性がある」(JAXA・吉川真准教授)

はやぶさ2

概要

小惑星探査機「はやぶさ2」は「はやぶさ」の後継機。目的は生命の原材料となった有機物の起源を探ること。有機物や水が含まれると考えられている小惑星を探査して、サンプルを持ち帰ることが最大のミッションです。

打ち上げられる時刻は、11月30日(日)午後1時24分48秒。その後2018年夏に小惑星に到着。1年半滞在しながら地下物質の採取に初めて挑戦し、2020年に地球に持ち帰ってくる計画です。

探査するのは地球に接近する軌道を持つ小惑星のひとつ「1999JU3」。大きさは900mほどで、自転の周期は約7.6時間。

小惑星ってなに?

小惑星は、太陽系小天体のうち成分が分散する尾がないものの総称。尾を引いているものは「彗星」と呼ばれる。小惑星の多くは火星と木星の軌道の間を公転している。

ミッションの流れ


2014年11月30日 打ち上げ
打ち上げ後、地球に近い軌道を描いて太陽を1周し、約1年後に地球の近くに戻ってスイングバイを行います。

2015年末 地球スイングバイ
スイングバイ後は、小惑星1999 JU3の軌道に近い軌道に入り、太陽を約2周したあと、1999 JU3に到着。1999 JU3が1周あまり太陽の周りを公転するあいだ、小惑星探査を行います。

2018年夏 小惑星に到着 ~約18ヶ月滞在
その後、1999 JU3を離れて、太陽の周りを1周弱回った後、地球に帰還します。

2020年末 地球に帰還

ミッションの目玉

今回のミッション最大の目玉は、小惑星の地下物質を採取すること。初号機「はやぶさ」が持ち帰った微粒子の分析で、小惑星の表面は太陽の影響で変質していることがわかっており、地下物質はそうした影響を受けていないものがあると期待されている。

表面に人工クレーターをつくり、太陽の熱や太陽風の影響を受けていない地下物質も持ち帰る。その成否の鍵を握る装置が、クレーターをつくる「衝突装置」。円錐形のステンレス製の本体と銅製の底板でできた容器に、爆薬が詰められています。爆発で底の直径約25センチの銅板が秒速2キロで発射され、勢いで丸く変形しながら小惑星に衝突、クレーターをつくる。

クレーターができた小惑星から試料を採取するのは「サンプラホーン」。長さ1メートルの筒型の装置だ。先端が着地した瞬間に小弾丸を撃ち、舞い上がった石や砂などを集める。



Kungsbrohuset

クングスブローヒューセット


概要

ストックホルム中央駅に隣接した商業ビル。スウェーデン国鉄の不動産部から分離した国営企業ヤーンヒューセン(Jernhusen)が、2010年3月に建てた。

駅の利用客の熱を利用

大きな特徴は熱利用のシステム。西隣にあるストックホルム駅の利用客や照明、機械が発する熱を利用している!それらの熱を使ったヒートポンプで温めた温水が、ビルの地下にパイプで引きこまれている。また、夏は東にあるクララ湖の冷水が引きこまれて、建物を冷やすこともできる。地中ヒートポンプも設置されており、この3つの熱源を使ってビルの冷暖房や給湯に使われている。熱の5〜10%を供給している。1年あたりのエネルギー消費量は、世界平均の半分にあたる60kWh/m2を目指している。



光ファイバーで採光

屋上で採光した光を光ファイバーで天井に繋いで部屋の照明に利用している。採光に応じて電気照明の明るさは自動調整される。またオフィスごとに、ひとつのボタンで全ての電源を待機状態にする「グリーン・ボタン」を導入している。





Royal Seaport

概要

市街地から公共交通で東に約15分。現在は国際旅客航路の埠頭と100基の石油・ガスタンクが並ぶ。石油・ガス基地を全て郊外に移して跡地を再開発する事業が、2008年に始まった。2030年に完成する。開発される面積は236ha。新築する住宅は10000戸で、商業地域は60万平方メートル。30000人の雇用創出を目標に掲げている。「Royal Seaport」の開発プロジェクトは、クリントン環境イニシアチブと米国グリーン・ビルディング・カウンシルが共同で支援する、世界18の「経済と環境を両立させる都市開発プロジェクト」の一つに選ばれている。

目標

1年あたりのエネルギー消費量の目標値は55kW/m2。
二酸化炭素排出量を2020年までに、1人あたり1.5トンまで減らす。
(現在のスウェーデン平均の3分の1)
化石燃料使用量を2030年までにゼロにする。

開発エリア

①ヨートハーゲン ②ヴァッタハムネン ③フリーハムネン/ローウッデンの3地区に分けられる。石油タンクが並ぶヨートハーゲンとローウッデンの地区が住宅地域になり、最初の住宅はヨートハーゲン北部に建てられる。2011年4月に着工し、2012年から入居が始まる。1年で500戸のペースで住宅が建てられ、2025年に1万戸に達する予定。

ヴァッタハムネンとフリーハムネンの一部の港湾の周囲は、すでに企業が集中する商業地域として発展している。再開発によりさらに多くの企業の本社、本部機能を誘致する。





Hammarby Sjöstad

概要

1990年代はじめ、オリンピックの招致を目指して再開発が始まった。当時はT字型のハンマルビー・ショー湖を囲むように造船所地帯が並び、環境汚染が進んでいた。招致には敗れたが、その後も「Hammarby model」と呼ばれるサステイナブルなまちづくりが続けられている。新開発は2018年まで。10000戸の住居が整備され、25000人が暮らす予定。再開発の土地は、ストックホルム市の中心部から南に約5㎞で、広さは200ha。土地の利用方法、交通手段、建材の選択、エネルギー、水、廃棄物など総合的な視点から計画が進められた。

目標

1990 年代前半の住宅地区と比較して、Hammarby Sjostad地区から排出される物質の環境負荷を50%低下させる。(2015年までに)

▼エネルギー(Energy)
建物のエネルギー消費を50 kWh/m2に抑える(うち15 kWh/m2 は電力)
100%再生可能エネルギーを使う
80%は廃棄物に由来するエネルギーを使う
汚泥よりバイオガスを回収する
住民による廃棄物と排水はすべてリサイクルし、再生エネルギーとして地区に還元する

▼交通(Transportation)
住民の80%が公共交通や自転車、バスなどで通勤する
うち25%は電気・バイオ燃料自動車によるものとする

▼上水(Water)
一人当たりの水使用量を50%削減する

▼廃棄物+排水(Waste)
埋め立てごみ廃棄場に送られる廃棄物量を90%削減する
総廃棄物量を40%削減する
廃棄物・排水中の窒化物を50%、水を50%、リンを約95%回収し、再利用する

▼都市()
25000 人が暮らせる10000 戸の住居を整備する

具体的な取り組み

▼エネルギー(Energy)
太陽電池、燃料電池、太陽光発電 可燃廃棄物を燃料に発電し、その熱を回収する
下水処理水からヒートポンプにより廃熱を回収し、住宅施設の冷暖房に使う
下水処理過程で得られる汚泥からバイオガスを回収し、市営バス、タクシー、ごみ回収車、ガスストーブなどの燃料に使う

▼交通
カーシェアリング

▼上・下水(Water)
節水家電などの普及により水使用量を25%減らす(目標は50%減、100L/人・日)
下水処理施設にて新技術を試行する。新開発次期プロジェクトへ
家庭排水と工業廃水を完全に分離する
重金属や生分解しない化学物質の下水への排出量を減らす(目標は50%減)
汚泥の肥料化。スウェーデンの森林地域に使用
汚泥中の窒化物を肥料として農業で利用することや、下水処理水のエネルギー回収について、ライフサイクルアセスメント(LCA)で有益性を評価する
雨水管の普及により下水処理場の負担を軽減させる
処理水の基準値:窒素6 mg/L、リン0.15 mg/L分野全体目標

▼廃棄物(Waste)
家庭ごみの分別を徹底する
廃棄物の量を減らす
生ごみの回収を促進させる(肥料化)
ごみは住宅の各ブロックに設置されているリサイクリング・ルームや各エリアの収集場所から、地下に敷設されたバキューム管で時速70㎞で集められる

備考

収入が高いシニア層の入居が多いことを想定していたが、自然に触れ合える環境が好まれ、小さな子供を持つ若い世帯の入居比率が市の想定を大幅に上回った。




村上春樹インタビュー集

「地下室」について

人間の存在というのは二階建ての家だと思ってるわけです。一階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話したりするところです。二階には個室や寝室があって、そこに行って一人になって本を読んだり、音楽を聴いたりする。そして地下室があって、特別な場所でいろんなものが置いてある。ときどき入ってぼんやりする。その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんです。

それは入るのが難しい場所です。運が良ければあなたは扉を見つけて、この暗い空間に入っていくことができるでしょう。そこでは、奇妙なものをたくさん目撃できます。目の前に、形而上学的な記号やイメージや象徴がつぎつぎに現れるんですから。それはちょうど夢のようなものです。

本を書くとき僕は、こんな感じの暗くて不思議な空間の中にいて、奇妙な無数の要素を眼にするんです。それは象徴的だとか、形而上学的だとか、メタファーだとか、シュールレアリスティックだとか、言われるんでしょうね。こうした要素が物語を書くのを助けてくれます。作家にとって書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見てるようなものです。それは、論理をいつも介入させられるとは限らない、法外な経験なんです。夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。

セックスは鍵です。夢と性はあなた自身のうちへと入り、未知の部分をさぐるための重要な役割を果たします。そうした場面は、先ほどお話しした隠れ扉を、読者が自分で開くことを可能にしてくれるからです。僕は読者の精神を揺さぶり、震わせることで、読者自身の秘密の部分にかかった覆いをとりのぞきたい。それでこそ、読者と僕の間に、何かが起きるんです。

小説を書いているとき、僕は暗い場所に、深い場所に下降します。井戸の底か、地下室のような場所です。そこには光がなく、湿っていて、しばしば危険が潜んでいます。その暗闇の中に何がいるのか、それもわかりません。それでも僕はその暗闇の中に入って行かなくてはならない。なぜならそれこそが、小説を書いているときに僕がいる場所だからです。僕はそこで善きものに巡り会い、悪しきものに巡り会い、ときには危険に遭遇します。そしてそれらを文章で描写します。僕の小説に登場する悪しき人格は、その暗闇の中で巡り会った人々です。僕は彼らの存在を感じることができます。彼らの息づかいを感じることができます。ときには寒気のようなものを感じることもあります。僕はそれをできるだけ正直に描写しなくてはならない。それが何を意味するのかはわからないけれど、そういうものがそこにあることを僕は感じるのです。

夢を見ているのと同じ

フィクションを書くのは、夢を見ているのと同じです。夢を見るときに体験することが、そこで同じように行われます。あなたは意図してストーリー・ラインを改変することはできません。ただそこにあるものを、そのまま体験してくしかありません。我々フィクション・ライターはそれを、目覚めているときにやるわけです。夢を見たいと思っても、我々には眠る必要はありません。我々は意図的に、好きなだけ長く夢を見続けることができます。書くことに意識が集中できれば、いつまでも夢を見続けることができます。今日の夢の続きを明日、明後日と継続して見ることもできる。これは素晴らしい体験ではあるけれど、そこには危険性もあります。夢を見る時間が長くなれば、そのぶん我々はますます深いところへ、ますます暗いところへと降りていくことになるからです。その危険を回避するためには、訓練が必要になってきます。あなたは肉体的にも精神的にも、強靭でなくてはなりません。それが僕のやっている作業です。


もし悪夢を見れば、あなたは悲鳴を上げて目覚めます。でも書いているときにはそうはいきません。目覚めながら見ている夢の中では、我々はその悪夢を、そのまま耐えなくてはなりません。ストーリー・ラインは自立したものであり、我々には勝手にそれを変更することはできないからです。我々はその夢が進行するままを、眺め続けなくてはなりません。つまりその暗闇の中で自分がどこに向かって導かれていくのか、僕自身にもわからないのです。

強い精神力が必要

物語を自分の中に見出し、それを引きずり出してかたちにすることは、作家にとっては時として危険です。走ることは、僕がその危険を避ける助けになっています。

誰でもきっと自分の想像世界を魂の中に持っているはずです。しかしそちらの世界へ行き、特別な入り口を見つけ、中に入って行って、それからまたこちらにもどってくるのは、決して簡単なことではありません。ただある種のドアを開けることができ、その中に入って、暗闇の中に身をおいて、また帰ってこられるという特殊な技術がたまたま具わっていたということだと思います。


作家が物語を立ち上げるときには、自分の内部にある毒と向き合わなくてはなりません。そうした毒を持っていなければ、できあがる物語は退屈で凡庸なものになるでしょう。僕の物語は、僕の意識の暗くて危険な場所にあり、心の奥に毒があるのも感じますが、僕はかなりの量の毒を処理することができます。それは僕に強い肉体があるからです。

物語を得るためには、僕はその源を探して掘り進めなくてはなりません。僕の心の暗い場所に物語が潜んでいて、そのすごく深いところまで掘っていかなくてはならないのです。そのためにも、肉体的に強くあることが必要になります。暗いところまで行き着くためには、何時間も集中しなくてはなりません。その途中で僕はさまざまなものごとに遭遇します。もし肉体的に弱ければ、そうしたものを時として得そびれてしまうでしょう。

フィクションが強制的に、僕をもうひとつの部屋に連れ込むのです。そこはとても暗く静かで、僕は多くの奇妙なもの、野性的なもの、シュールリアリスティックなものの目撃者となります。書くときに、僕は自分の精神の奥底へ潜っていく。深く潜れば潜るほど、危険が生じます。そこに生起する生き物やイメージや音に対抗するためには、強くなくてはなりません。恐怖の扉をあえて開ける勇気が必要なんです。


自分の魂の不健全さというか、歪んだところ、暗いところ、狂気を孕んだところ、小説を書くためにはそういうのを見ないと駄目だと思います。そのたまりみたいなところまで実際に降りていかないといけない。でも、そうするためには健康じゃなくちゃいけない。肉体が健康じゃなければ、魂の不健全なところをとことん見届けることができない。


向こう側の世界と、こちら側の世界

向こう側の世界と、こちら側の世界。そういう二つの世界の相関関係というのは、僕にとってはすごく大きなテーマで、多かれ少なかれ、どの本にも出てくるんです。

「雨月物語」なんかにあるように、現実と非現実がぴたりときびすを接するように存在している。そしてその境界を超えることに人はそれほどの違和感を持たない。これは日本人の一種のメンタリティーの中に元来あったことじゃないかと思うんですよ。

中上健次さんも「雨月」を範に取ったものを書いていらっしゃる。物語の再生みたいな意識があの人の中にはあったと思うんです。僕の場合は、物語のダイナミズムというよりは、むしろそういう現実と非現業の境界のあり方みたいなところにいちばん惹かれるわけです。

僕の小説には現実の世界と、現実ではない世界の間を行き来する部分がよく出てきますが、そのとき人は一度自分の組成をすっかり壊さなくちゃいけない。質量を失って、ひとつの原理にならないといけない。そうしないと向こう側にはいけない。

僕は思うんだけど、人には「原理になってしまいたい」という欲求があるんじゃないのかな。肉体を失って原理になってしまいたい。「壁抜け」というのはそういう意味においても可能なんです。原理というよりは、むしろvoid=虚空という方に近いかもしれない。人間存在の核はvoidであるという方が、僕の論点には合っているかもしれませんね。我々は結局のところvoidに付着している表象スタイルの総合体に過ぎないのだと。

新しい価値観をつくる

僕らは今、途方に暮れている。僕らは戦争が終わってからずっと、実に勤勉に働いてきました。脇目もふらずに働いた。そして国は復興を遂げ、だんだん豊かになっていった。そして安定した状態に至った。これで一安心。でもそこで僕らは自分自身に問いかけることになりました。さて、我々はどこにたどり着いたのか? これからどこに行くのか? 我々はいったい何ものなのか? でもクリアな答えはない。これは一種の自己喪失のようなものです。

そろそろ新しい価値観を作るべき時期だと思うんです。それも、偉そうなものじゃなく、ありきたりのもので作っていく時期が。とにかく冷蔵庫にあるものでなんとかする。これからはそういう時代だと思うし、僕もそういうことをやっていきたいという気がしているんです。僕としては小さいものごとを集めることで、大きな物語を作っていきたいと思っています。正面からボンと大きなことを言うんじゃなくて。

労働は豊かさをもたらし、豊かさは幸福をもたらす、と考えられていたんです。僕らは豊かになったんです。ただし、いまだに幸福を見つけられずにいた。僕らはどこかで自分を見失ってしまったと感じており、自分たちの価値や特性をふたたび問い直さなければなりませんでした。「幸せになること」が、新たな信仰箇条となったんです。いま僕たちには、じっくりと考える時間がある。つまり、別の道を見出すための時間が。

物語を体験するというのは、他人の靴に足を入れることです。世界には無数の異なった形やサイズの靴があります。そしてその靴に足を入れることによって、あなたは別の誰かの目を通して世界を見るようになる。そのように善き物語を通して、真剣な物語を通して、あなたは世界の中にある何かを徐々に学んでいくことになります。

自分たちは比較的健康な世界に生きている、とみんな信じています。僕が試みているのは、こうした世界の感じ方や見方を揺さぶることです。僕たちは、ときに、混沌、狂気、悪夢の中に生きています。僕は、読者がシュールレアリスティックな世界、暴力や不安や幻覚の世界に潜ってゆくようにしたい。そうすることによって、人は自分の中に新しい自分を見出せるかもしれません。

我々は多くの場合、メディアを通して世界を眺め、メディアの言葉を使って語っているのです。そのような出口のない迷宮に入り込むことを回避するためには、ときとして我々はたった一人で深い井戸の底に降りていくしかありません。そこで自分自身の視点と、自分自身の言葉を回復するしかないのです。

一九九五年は象徴的な年でした。バブル崩壊と重なって、そのあと規範みたいなものが急速に失われていった。そして旧来のものに代わる新しい価値体系がまだ見つけられていない。

小説を書くことについて

小説を書き出して、毎日毎日休みなくこつこつとそれを書き続けます。するとそのうちに、暗黒のようなものが訪れてきます。そして僕にはその中に入って行く準備ができている。でもそういう段階に達するためには、時間が必要です。今日書き出して、明日にはもうその中にすっと入れるというものではありません。

僕自身が最も理想的だと考える表現は、最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現することです。

人が孤独に、しかも十全に生きていくのはどうすれば可能か。三十歳になる前後というのは迷う頃だし、自分にとって人生の価値とは何なのかを真剣に考える時期で、僕の語る物語を求めるのは、やっぱりそういう人たちなんじゃないかという気がするんです。

人間が孤独に生きながら、いかに社会との接点を見つけて自分の人生の方向を見出していくかということを、真剣に考える年齢というものに、やっぱり呼応している。

説明するんじゃなくて、子どもに受け入れられるような言葉で、いちいち具体的に描写するんです。お人形の手紙というかたちをとって、架空の世界をそこにどんどん立ち上げていくんです。僕もそういう立ち上げ作業って大好きですね。架空を実在にまで持っていく。

「息の長い細密な描写力を身につけなくてはならない」というのは、僕にとっての命題として残った。立ち上げというのは難しいんですね。どれくらいリアルに細密に立ち上げられるかというのは。要するに、描写力なんです。

ノンフィクションは事実を尊重します。でも僕の本はそうではありません。僕はナラティブ(物語)を尊重します。それは生き生きとしたものであり、鮮やかなものです。それは正直なナラティブです。僕が集めたかったのはそういうものなのです。彼らの語ったことはすべて真実である必要はありません。もし彼らがそれを真実だと感じたのなら、それは僕にとっても正しい真実なのです。事実と真実とは、ある場合には別のものです。

僕はできるだけ意味性を取り払いたかった。カタカナで名前を付ければ、その名前はより匿名性を獲得することになります。シンボルや、記号に近いものになります。ちょうどフランツ・カフカが「審判」の主人公にヨーゼフ・Kという名前を付けたのと同じように。その人物の名前がKであることで、それが「誰でもあり得る」ことが示されています。それはあなたかもしれないし、僕かもしれない。シンボライズされたメッセージです。

ユーモアというものは、僕の小説の中でも、きわめて大きな役割を果たしています。本当の意味での「シリアスさ」は笑いの要素がなくては成立しないのではないかとさえ思います。(楽しさの中で学ぶ)


「ギャツビー」の魔法の力は、不完全さにあるのだと思うようになりました。前後の脈絡のずれた長いセンテンス、設定のある種の過剰さ、登場人物のふるまいに時おり見られる一貫性の欠如。この小説が持っている美しさは、そういうもろもろの不完全さの積み重ねに支えられているんです。


「少なくとも最後まで歩かなかった」、墓石にそう刻んでもらいたい。

井戸が示しているのは、たとえとても深い穴の中に落ちてしまったとしても、全力を振り絞って臨めば堅い壁を通り抜け、再び光のもとに帰れるということです。語っている物語が力を備えさえすれば、主人公と書き手と読者は共に「ここではない世界」へと到達できる。そこは元の世界でありながら、旧来とは何かが違う世界です。

例えば「海辺のカフカ」だったら一日十枚ぐらいのペースで書きました。規則正しくきちっと決めて書いていって、半年で仕上げてそのときは千八百枚、それに手を入れながら削っていって千六百枚にした。

「注文を受けては小説を書かない」というのは、ほとんど最初から通していることです。締め切りができちゃうと、ものを書く喜びがなくなっちゃうから。自発性も消えてしまうし。

物語について

僕の考える物語というのは、まず人に読みたいと思わせ、人が読んでも楽しいと感じるかたち、そういう中でとにかく人を深い暗闇の領域に引きずり込んでいける力を持ったものです。できるだけ簡単な言葉で、できるだけ深いものごとを、小説というかたちでしか語れないことを語りたい。

計算して書いたら、計算して書いた、という話にどうしてもなっちゃう。手探りして進みながら、自然に顔をのぞかせるものを、するっと素早く引っぱり出していくのが物語です。

地形によって水の流れが自動的に決まってしまうとの同じように。作家というのは基本的にその道筋をたどっていけばいいわけです。流れを理解すればそれでいい。物語というのは、僕にとっては質量のない絶対原理であって、僕はそれを言語的に書き換えているだけです。

何度読み返したところで、わからないところ、説明のつかないところって必ず残ると思うんです。物語というのはもともとがそういうもの、というか、僕の考える物語というのはそういうものだから。物語というのは、物語というかたちをとってしか語ることのできないものを語るための、代替のきかないヴィークルなんです。極端な言い方をすれば、ブラックボックスのパラフレーズにすぎないんです。

「ペット・サウンズ」とか「スマイル」は年に一回ぐらいは聴き返さなくてはいられない。どうしてそんなに何度も聴き返したくなるかというと、僕は思うんだけど、ブライアン・ウィルソンの音楽の中には、空白と謎がなおも潜んでいるからです。そしてその空白と謎は、ブライアン自身の中に潜んでいる空白と謎に、有機的に呼応しているからなんです。それが僕の言う「物語性」です。

物語というのは、たとえ見栄えが悪く、スマートでなくても、もしそれが正直で強いものであれば、きちんとあとまで残る。

我々小説家がやるべきことはおそらく、そういった(深い井戸の底に降りていくような)「危険な旅」の熟練したガイドになることです。そしてまたある場合には読者に、そのような自己探索作業を、物語の中で疑似体験させることです。僕にとって物語とは、さまざまな特別な機能を持ったパワフルな乗り物なのです。

美しい文体や知的な筋に価値はあるけれど、最終的に重要なのは、次々に起こる何かを読者に期待させることなのです。次の展開がどうなるのか読者が想像せずにはいられない。それが優れた物語です。言語や国境を越えて。

小説の中で描きたいこと

僕が個人的に興味を持っているのは、人間が自分の内側に抱えて生きているある種の暗闇のようなものです。その暗闇の中ではいろんなことが、あらゆることが、起こります。僕はそれらのものごとをしっかりと観察し、物語というかたちで、そのままリアルに描きたいのです。解析したり、説明したりするのではなく。

僕が、僕の小説の中で描きたかったことのひとつは、「深い混沌の中で生きていく、個人としての人間の姿勢」のようなものだった。

すべての人間は心の内に病を抱えています。その病は、我々の心の一部なのです。僕らは意識の中に「正常な部分」と「普通じゃない部分」を持っています。その二つの部分を、僕らはうまく案配して操っていかなくてはならない。それが僕の基本的な考え方です。

僕の中には、日本人というものについて物語を書きたいという強い思いがあります。我々は今どこにいて、どこに向かおうとしているのか? それは僕にとってとても大事な問題だし、僕の書くもののひとつのテーマになっていると思います。

僕は細部がとても好きなんです。どうでもいいような細かい部分に目を注ぎたいんです。あなたは何かを凝視しようとする。あなたの焦点はどんどんその個別の部分に接近していく。接近すればするほど、ものごとはむしろ非リアリスティックになっていくのです。それが小説において僕のやりたいことです。事物は近くに寄れば寄るほどリアルさを失っていく。カフカの作品を読めばそれがよくわかります。それが僕のひとつのスタイルになっています。

僕は地震についての物語を書きたかったけれど、地震そのものについて、あるいは地震で直接の被害を負った人々について、物語を書くつもりはなかったということです。この本(上の子どもたちはみな踊る)の中で僕が描きたかったことは、地震の余波です。地震そのものではない。人々は世界中でつらい状況に置かれています。神戸だけではない。同じようなことがこの国中で、あるいは世界中で起こっているのです。

日本の「失われた十年間」、一九九五年から二〇〇五年は、この国にとって非常に重要な時期だったと思う。あの十年間でも、僕の大きなテーマは、日々のカオスと共存していくための土台を築くことでした。その土台にどんなものを築いていくのか、それが僕にとってのこれからの大きなテーマになっていくと思います。

なんのかんの言っても総体としてはすごいものを書きたいなあ。僕はそういう小説に「総合小説」という呼び名を付けてみたんです。僕の考える「総合小説」っていうのは、とにかく長いこと、とにかく重いこと。そしていろんな人物が、特異な人から普通の人まで次々に登場してきて、いろんな異なったパースペクティブが有機的に重ね合わされていく小説であること。いろんな話が出てきて、絡み合い一つになって、そこにある種の猥雑さがあり、おかしさがあり、シリアスさがあり、ひとつには括れないカオス的状況があり、同時にまた背骨をなす世界観がある。そんないろんな相反するファクターが詰まっている、るつぼみたいなものが、僕の考える総合小説なんですよ。

悪について

それはある意味では世間のほとんどの人が抱えている問題を増幅したものにすぎないわけです。人が抱え込んでいるものというか、それを抱え込まないことには存続し得ない要素を、小説的に増幅したにすぎないんですよね。「海辺のカフカ」のジョニー・ウォーカーにしてもカーネル・サンダースにしても、外界から来たものではなくて、あくまで人の内部から生まれ出てきたものです。それが増幅されてかたちをとったものです。

何が悪かーそれを定義するのは難しいことです。しかし何が危険かを説明することはおそらく可能です。その二つは往々にして重なっているかもしれません。

麻原はもちろんきわめて特殊な存在です。どう見ても狂った精神を持っています。しかし我々自身の中にも、やはり狂気や、正常ならざるものや、不適当なものはあるかもしれません。僕は自分の中の暗闇の中に存在するかもしれないそのようなものを、もっとよく見てみたいと感じました。

沈みきったものをすくい取る

現実的なものをすべて取り去ったあとに、脳に浮かびあがった記憶だけに頼って、あらためて情景を描写しています。このように生み出した情景は、現実に存在しているもの以上に現実性を獲得することができます。

昨日見て今日書けるというものではない。自分の中でいったん沈み切って、もう一回浮かんできたものをすくい上げるのがその素晴らしさで、そういうことができたとき、小説家になってよかったなと思う。物語もそこから開けてくるという感覚があるんだけど、でも、僕にとって大事なのは、自分の中で風景が浮かび上がって文章になる過程なんです。物語はむしろその過程の中にくっついてくる。

インテイクというのはそのとおりだと思います。でもそれは素材を取り入れるというようなこととは違うんです。感覚的に言えば、いろんなものが筋肉の中に侵みていくというのに近いです。

本質を抽出する

小説というのは、インテイクしたものを全部出しちゃいけないですよね。取り込んだものからいちばん大事な部分だけを抽出して使うというか、またある場合には思いそのものをすべて抱え込んで、呑み込んで、それとはまったく違うかたちでもって書くとか、そういう我慢がすごく大事な作業になります。

百のうち九十までは、自分では実際に体験したことのないことです。どのようなささやかな、日常的なことからでも、大きな、深いドラマを引き出していくのが、作家の仕事であると思います。小さな、日常的なものごとからその本質を抜き出し、その本質を別のものに―より強くカラフルなものに―置き換えていくわけです。それがフィクションです。


僕の小説も自分の心の中の抽斗をひとつひとつ開けて、整理すべきものは整理し、人々の共感を呼べるものをひとつ取り出し、文字で表現し、人様に見てもらえるような形にしていくのです。

小説家の役割はひとつひとつの意見を表明することよりはむしろ、それらの意見を生み出す個人的な基板や環境のあり方を、少しでも正確に(フランツ・カフカが奇妙な処刑機械をを異様なばかりに細密に描写したように)描写することではないか、というのが僕の考え方です。小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです


結末はオープンであること

僕の仕事は人々と世界を観察することにあります。その価値を判断することにはない。何事によらず、僕はなるべく結論を出さないようにしようと努めて生きています。僕はすべてのものごとを可能な限りオープンな状態に保っておきたいのです。それをあらゆる可能性に向けて開かれた状態にしておきたい。

麻原の提供した物語のサーキットは抑圧的なものであり、堅く閉鎖されたものでした。真の物語のサーキットは基本的に自発的なものでなくてはならないし、常に外に向かって開かれていなくてはなりません。我々は麻原的なるものを拒否しなくてはならない。それが僕の書こうとしている物語の骨子であるかもしれません。

結末近くまでは、物語が僕を運んでくれるのですが、結末だけは自分で選ばなければなりません。それがゲームのルールです。僕が言いたいのは、それが最終的な結末ではないということです。それは変更可能なものです。結末はオープンです。結末は最終的なものではない。僕はいつもそう考えています。

今日、多くの場所で、閉じた世界がだんだん強くなってきています。原理主義、カルト、軍国主義。でも閉じた世界は武力では壊せません。壊してもシステム自体は、理念は、残ります。どこかよそへ場所を移すだけの話です。なしうるベストのことは、ただ語ってみせることです。開かれた世界の良い面を見せること。時間はかかりますが、長い目で見れば、開かれた世界のそういう開いた回路は、閉じた世界がなくなっても残ると思う。


書かない時期が大事

深夜のファミレスで女の子が一人で本を読んでいる。そこに男の子が入ってきて、彼女に目を止めて「ねぇ、誰々じゃない?」と言う。女の子は目を上げる。そういう短いシーンを何ということなく思いついてサーっと書く。これは何かに使えるかもしれないと思って、プリントアウトして一年くらい机の抽斗の中に入れていた。シーンみたいなものがひとつ頭に浮かんで、それを簡単なスケッチにしてメモしておきます。木炭の素描みたいなものです。ときどき何かの拍子にふっと浮かんできて、頭の中で繰り返し繰り返しリピート上映される。そんなことが一年間ぐらい続いた。どこから来たのかもわからないし、どこに行くのかもわからない。一年ちょっとぐらいして急に「そうだ、あれをもとにしてちょっと長いものを書いてみようか」という気持ちになりました。

メモとかスケッチとかを使って大きなものを書き始めるべき時期というのは、体感で自然にわかるんです。種をまいてから芽が出てくるまでに、一年かかるか二年かかるかわからないけど、その時期が来ると「あ、そうだ、そろそろあれで行こう」ということになる。抽斗をあけて、プリントアウトを取り出して、それをもとに長編小説を書き始める。大事なのはその時期を正確にとらえることなんです。小説を書くのって、逆説的な言い方になるんだけど、書かない時期が大事なんですよね。僕はそう思います。

小説家の作業にとっていちばん大事なのは、待つことじゃないかと思うんです。何を書くべきかというよりも、むしろ何を書かないでいるべきか。書く時期が問題じゃなくて、書かない時期が問題なんじゃないかと。小説を書いてない時期に、自分がどれだけのものを小説的に、自分の体内に詰め込んでいけるかということが、結果的にすごく大きな意味を持ってきますよね。待ち時間をたっぷりとって、闇がしっかりと満遍なく身体にしみこんだところで、初めて姿を現してくるんですよね。

自発性について

どんなに長い小説でも、最初はいくつかのプロットと、登場人物程度しかありません。いかなる設定も持たずに書き始め、ただただ日々書くことによってストーリーを発展させていく。まわりにあるすべての要素を日々吸い込み、それを自分の中で消化することによってエネルギーを得て、物語を自発的に前に進めていくのです。

大事なのは、きちんと底まで行って物語を汲んでくることで、物語を頭の中で作るようなことはしない。最初からプロットを組んだりもしないし、書きたくないときは書かない。僕の場合、物語はつねに自発的でなくてはならないんです。

僕が最初の読者となるので、これから起こることは知らないでいる必要があります。そうでなければ僕は「既に知っていることを書く」という作業に大いに退屈することになるでしょう。


自分を表現しない


小説を書きたいという人間は、小説はいかに書くべきかというところで読書体験とは別の思考をしますよね。僕にはそれがないんです。僕にとっては読書というのは純粋な悦びでしかなかった。

何かテーマがあってそれを表現するというよりは、自分の中にある物語的な土壌にどのようにうまく自分を染み込ませていくか。

僕は自分を表現しようと思っていない。自分の考えていること、たとえば自我の在り方みたいなものを表現しようとは思っていなくて、僕の自我がもしあれば、それを物語に沈めるんですよ。僕の自我がそこに沈んだときに物語がどういう言葉を発するかというのが大事なんです。


ストーリーについて


僕の本の主人公はたいていの場合、その人にとって重要な何かを探しています。物語の真の意味は、探そうとするプロセス、つまり探求の運動のうちにあるんです。主人公は、はじめとは別人になっています。重要なのはそのことなんです。

旅行をすることとと、小説を書くことは似通った体験でもあります。たとえどれだけ遠いところに行っても、深い場所に行っても、書き終えたときにはもとの出発点に戻ってこなくてはならない。それが我々の最終的な到達点です。しかし我々が戻ってきた出発点は、我々が出て行ったときの出発点ではない。風景は同じ、人々の顔ぶれも同じ、そこに置かれているものも同じわけです。しかし何かが大きく違ってしまっている。そのことを我々は発見するわけです。

最初にひとつのイメージがあり、僕はそこにあるひとつの断片を別の断片に繋げていきます。それがストーリーラインです。それから僕はそのストーリーラインを読者に向かってうまく呑み込ませる。簡易な言葉と、良きメタファー、効果的なアレゴリー。それが僕の使っているヴォイスというか、ツールです。


どういうストラクチャーで、誰が出てくる、どういう結論にする、そういうプランはまったくありません。ただその出だしのシーンだけがあって、それだけをもとにして書き始める。短編小説って、もっと幾つかのヒントがないと書けないんです。しかし長編の場合、キーポイントがあったらむしろ縮こまって書けなくなっちゃう。もっと自由でありたい。

最初のチャプターを書き終えて、次のチャプターに取りかかるときに、さあ次はどこへ行こうかと、その時点で考える。それはまったく違う場所で、違う人によって行われていることでなくてはならない。

世界中のすべての神話がそういう構造になっていますよね。主人公が試練を進んで引き受けるとき、その主人公を助けるものが必ずどこかから出てきます。でも、そういう援助の役割を引き受けるのは、アウトサイダーじゃなくちゃいけないんです。社会の本流からは受け入れられないものでなくてはいけない。

ひとつひとつの局面において彼女がどのような反応をし、どのような行動をとるかということがつかめてさえいれば、小説的にはそれでいいわけです。小説における人物というのは、あるいは現実世界においてもそうなのかもしれないけれど、そういうところで成り立っているわけです。

小説の登場人物たちは決まって彼らの抱える問題を乗り越える方法を見つける。ただ底に至るまでには、苦しんだり、暗闇や、悪や、奇妙なことにも、暴力を含むような出来事にも、立ち向かわなければならない。僕の物語はだいたいこの考えでまとめられるでしょう。


共感について

小説というのは一種の共感装置だから、ようするに共感を呼べばいい。

時代は変わっても、人間が本当に深いところで悩んだり迷ったりする部分は変わらないんです。

本当に暗いところ、本当に自分の悪の部分まで行かないと、そういう共感は生まれないと僕は思うんです。もし暗闇の中に入れたとしても、いい加減なところで、少し行ったところで適当に切り上げて帰ってきたとしたら、なかなか人は共感してくれない。

書くことによって、多数の地層からなる地面を掘り下げているんです。この深みに達することができれば、みんなとの共通の基層に触れ、読者と交流することができる。つながりが生まれるんです。

視点について

僕の書くほとんどの小説は一人称で書かれています。主人公の主要な役目は、彼のまわりで起こっていることを観察することです。彼は彼が見なくてはならないものを、あるいは見るように求められているものを、リアルタイムで目にします。彼は中立的な立場にいます。その中立性を保持するためには、彼は肉親から離れていなくてはなりません。縦型の家族組織から独立した場所にいなくてはならないのです。僕は自分の小説の主人公を独立した、混じりけなく個人的な人間として描きたかったのです。彼は親密でパーソナルな絆よりは、むしろ自由と孤独を選んだ人間なのです。

三人称で押し切っていくと、なんかいかにも作家みたいというか、神様が上から見て、こいつがこっち行って、あいつはそっちに行かせてというふうに、作中人物たちの行動を動かしていくって、上からの目線という感じがすごくした。一人称だと自分目線で動けるから、わりと地面に近い感覚でいられる。だから僕はデビューの時からずっと一人称で書いていた。自分の視点をちょっと変えるだけで、物語のパースペクティブ(視点、物事の見方)も次々に移していける。

映画監督がカメラを移動するように、主人公がこちらを向いたらこういうパースペクティブ、そちらを向いたらそういうパースペクティブと思うように移動できたし、そういう手法は僕の書く物語に合っていたと思うんだけど、だんだんそれだけでは足りないんじゃないか、という気持ちが生まれてきた。

登場人物にずっと名前を付けなかったこととも同じ話だと思う。というのも、登場人物に名前を付けないと、単純に、たとえば三人の会話って書けないわけですよ。一人称で登場人物に名前がないと、主人公と相手という二人の会話まではできても、三人寄ると会話ができなくなっちゃう。それは明らかに小説の限界になりかねないわけで、そのへんからやはり名前を付けなくちゃなと考え始めた。


小説と音楽とのつながり

良い音楽を演奏するのと同じように、小説を書けばそれでいいんじゃないかと。良き音楽が必要とするのは、良きリズムと、良きハーモニーと、良きメロディー・ラインです。文章だって同じことです。そこになくてはならないのは、リズムとハーモニーとメロディーだ。僕の文章にもし優れた点があるとすれば、それはリズムの良さと、ユーモアの感覚じゃないかな。たとえば僕はエルヴィン・ジョーンズのドラミングが好きです。シンバルがアンカーの役目を果たしています。とても安定していて、とてもソリッドです。そしてそのあいだ両腕はクレイジーに動き回っている。ワイルドなことをやりまくっている。それでもシンバルはしっかりとひとつの場所に留まっています。僕がやりたいのは、言うなればそういうことです。


たくさんのことを音楽から学んだし、その体験は小説を書く上でとても役に立っていると思います。その方法論を小説の中にそのまま持ち込んでいる、ということもできるかもしれない。たとえば・・・リズムの重要性、インプロヴィゼーションの楽しさ、聴衆とのあいだに共振性を確立することの大切さ。これはメタファーではありません。僕にとって、文章を書くことと、音楽を演奏することはそのまま空中で、文字通り直結していることなのです。


短編小説について

集中して短編小説を書こうとする場合、書く前にポイントを二十くらいつくって用意しておきます。何でもいいんです。なるべく意味のないことがいい。たとえば、「サルと将棋を指す」とか「靴が脱げて地下鉄に乗り遅れる」とか「五時のあとに三時が来る」とか。そうやって脈絡なく頭に思い浮かんだことを書き留めておくんです。リストにしておく。それで短編を五本書くとしたら、そこにある二十の項目の中から三つを取り出し、それを組み合わせて一つの話をつくります。そうすると五本分で十五項目を使うわけですよね。そして残った五つは、使わなかったものとして捨てる。いつも多かれ少なかれそういうやり方で短編を書きます。

そういう二十のポイントが必然的なものとして水面に浮かび上がってくるのは、やはり四年のあいだ短編小説を書いていないからですよね。タメがあるから、そういうのが自発的に出てくるんです。ある程度の時間、無意識の中に自分をとっぷりと沈めておかないと、僕のシステムはうまく機能しない。正しい時期が来ていないのに、意識の明かりの中に持ちだしちゃうと、持ち出されたものはすぐに枯れてしまうんです。モヤシと同じように、床下で養分をじゅうぶん与えて成長させて、正しい時期が来たときに蓋を開けなくてはならない。だから、いつ時期が来るかを見定めるのが重要です。タイミングを見る才覚というか、スキルというか。タイミングがほとんどすべてです。


短編小説の師をあげるとするならば、それはフィッツジェラルド、カポーティ、カーヴァーの三人である。

カポーティから学んだのは、短編小説においては文章というものが「妖しくなくてはならない」ということです。ちょっと下品な言葉で言えば読者を「こます」文章でなくてはならないということですね。頭で考えたような文章では読者はこませない。身体の奥の方からじわっと出てくる何かがないとだめだということです。フェロモンが適当に出てないと、短編小説の世界にはなかなか人をひきずりこめない。短編って一発勝負だから、その世界にすっと人を引きずり込めなかったら、どうしようもないです。

フィッツジェラルドから学んだことは、フェロモンは出ていなくてはならないんだけど、それが下品なかたちであってはならないということです。「とにかくフェロモンが出てりゃいいんだろう」みたいなことになってはいけない。そこには優しさと哀しみのようなものがなくてはならないし、書き手の視線は基本的にできるだけ遠くを見ていなければならないということです。短編小説というと「細部、細部」みたいなことになりがちだけど、フィッツジェラルドの優れた短編を読み終えて目を上げると、遠くの風景がふっと前に浮かび上がってくるんです。そういう小説の志が感じられる作品は、読んだ人の心に長く残ります。

カーヴァーから僕が強く感じたのは、「偉そうじゃない」こと。立派なこと、偉そうなことを書かなくても、書くべきことをきちんと書いていれば、それで立派な小説になるんだということ。

短編小説というのは「うまくて当たり前」の世界です。その上で何を提供できるか、ということが主題になります。他の人には書けない、その人でなくては書けない「実のある何か」がそこにくっきりと浮かび上がってきて、今まで見たことのないような情景がそこに見えて、不思議な声が聞こえて、懐かしい匂いがして、はっとする手触りがあって、そこで初めて「うん、こいつは素晴らしい短編小説だ」ということになります。

うまくなくてはならないけど、その中ではとくべつうまくなくてもいい、というのが優れた短編小説の定義かもしれない。僕の個人的な好みは「ばらけかけているんだけど、あやういところでばらけていなくて、その危うさがなんともいえずいい」という感じの作品です。



読書体験について

僕の教養体験はほとんど十九世紀のヨーロッパ小説なんです。ドストエフスキーから、スタンダールから、バルザックから。ディケンズなんかもそう。

十八歳のころ、僕は十九世紀ヨーロッパの古典を読んでいました。主にトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、バルザック、フロベール、ディケンズです。そしてハードボイルドとサイエンス・フィクションの世界を発見し、レイモンド・チャンドラー、カート・ヴォネガット、リチャード・ブローティガン、スコット・フィッツジェラルドを発見した。僕の教養の基礎は、古典とポップカルチャーにつながる文学との混淆なんですよね。

僕は大学生のとき、カート・ヴォネガットやリチャード・ブローティガンを読むのが好きだった。彼らはたしかなユーモアのセンスを持っています。そしてそれと同時に何かシリアスなものごとを書こうとしている。僕はそういう本が好きなんです。

ジョン・アーヴィング、レイモンド・カーヴァー、ティム・オブライエン・カーヴァーの短編を読んだときは衝撃だったな。短編の書き方については、カーヴァーから何かを教わりましたね。彼が短編を通して言っていたのは、小説を書くには知的でないといけないけれど、書く素材は知的である必要はないということだと思う。アーヴィングからは長編の書き方について教わるところがありましたね。ああいうパワフルなストーリーテリングの声を。小さな、現実的なことじゃないんです。大きなことです。作者の息づかいとか、パースペクティヴ、知覚とか。翻訳すると、そういうものが感じられるんです。

カーヴァーやオブライエンの場合、時に非理性的になります。僕はどうも、物事がぐちゃぐちゃの方が居心地がいいみたいです。そういう世界の方が好きなんです。

カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」。彼は僕が最も高く評価する同世代の作家の一人です。上手なだけではなく魂がこもっている。新作が出たらすぐに買いに行って読みます。

僕にとっての総合小説というのは、たとえば、ティム・オブライエンの「ニュークリア・エイジ」がそういうものですね。あの小説のばらけ方と、ばたけることによって出てくる広がり。それからテーマがやたらと大きいこと。総合小説っていうのは、細部の出来よりは、全体のモーメントがものを言います。とにかくテーマがでかくないと面白くないですよね。

音楽について

もっとも頻繁にターンテーブルに載せるミュージシャンは誰かと尋ねられれば、それはマイルズ・デイヴィスになると思います。五十年代から六十年代のマイルズのレコードですね。

「ペット・サウンズ」とか「スマイル」は年に一回ぐらいは聴き返さなくてはいられない。どうしてそんなに何度も聴き返したくなるかというと、僕は思うんだけど、ブライアン・ウィルソンの音楽の中には、空白と謎がなおも潜んでいるからです。そしてその空白と謎は、ブライアン自身の中に潜んでいる空白と謎に、有機的に呼応しているからなんです。それが僕の言う「物語性」です。


月3万円ビジネス

▼儲けすぎない
競争しない
市場を独占しない(儲けすぎない)
商品の価値を定め、それより価格を安くする
仕事を分かち合う
無償で客をつなぐ
コピーレフト

▼いいことをやる
人や社会が幸せになることをやる
社会活動とつなげる

▼顔の見える関係
温もりのある人間関係を大切にする
卸売はせずに客と顔の見える関係を大切にする
客は友人。口コミで友人を増やす
愉しさを大切にする
潜在的な強い欲求に、感動的な商品を提供する

▼心の余裕・小さくはじめる
支出の少ない生活スタイルと両立する
借金をしない。固定費を0に近づける(固定費とは人件費、家賃など)
営業経費を0にする(流通系費をかけない、宣伝しない)
複業する
暇なときに空いた場所でやる


「商品を提供することにとって客に価値が生じ、企業に利益が生まれる」
「価値」が「価格」よりも高ければ、客は商品を買う。
「原価+経費」が「価格」よりも安ければ、「利益」が生まれる


分断された「ヒト・モノ・コト」をつなぎ直す
生産者と消費者をつなぐ 販売者と消費者をつなぐ(カフェ×イベント)
相乗効果が膨らむ複業
産業システムをローカル化する

▼行動を促すきっかけ
①道具②材料③ノウハウ④仲間⑤きっかけ
材料で利益を出す
「都会の人が感じる強い価値」×「田舎」


「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ


この本で扱う「消費」とは、生きていくために必要ないものを欲すること。
「生産」を中心に回っていた社会が、「消費」が中心の社会に変わった。
「貧乏は美徳、金持ちはいかがわしい」という価値観が劇的に変わった。
消費者であることは、半ばは自分で選んでいるが、半ばは企業や市場にコントロールされている。

▼戦後の歴史は大きく3つに分けられる。
①戦後10年後〜オイルショック(1973年)高度経済成長期。経済成長率は9.1%。
②1973〜バブル崩壊(1991年)相対安定期。経済成長率は3〜4%。
③1991〜リーマン・ショック(2008年)低成長期。経済成長率は1%前後。

日本が生産中心の社会から、消費中心の社会に変わったのはいつか?
②のオイルショックからバブル崩壊の間。相対安定期ではないか。

▼変化のきっかけは?
・週休二日制。1980年代後半から10年ほどかけて導入された。
・労働者派遣法の改正
・コンビニの出現
週休二日制で働く時間が減って消費の時間が生まれ、
共同体や組織から分断された個人の働き口として、フリーターが生まれ、
コンビニが消費の受け皿になり、「アノマニスな消費者」が生まれた。

「生産」から「消費」に社会の中心が変わった。
「労働」から「お金」へ、価値の重心が移った。
「お金」は実態を持たない単な記号。
お金が中心になり、消費者は身体と名前を失ってアノマニスな存在になった。
商店街では顔と名前がある住人たちが、商品と情報を交換している。

▼企業から見る「消費化」とは
集団から個人に分断させて経済を発展させること。商品を多く売るために、地域も家族も細分化して「個人」を作り出し、「個人」の欲望を喚起して、消費者に仕立て上げてきた。それが「市場創造」。企業の「戦略」は、顔のない消費者を生み出し、その群れの中に欲望の餌を投げ込むこと。

人間は自由で匿名で流動的な社会で、幸福感や充実感を得られるのか?

▼会社は誰のもの?株主のもの?
株式会社は経済が拡大しなければ生きていけない。消費が増えて市場が拡大することを前提に、株式会社は成立している。日本では2005年から人口が減り始めた。労働人口に限ると1995年から減っている。人口は企業にとって市場そのもの。人口減少は市場の縮小を意味する。右肩上がりの経済成長ができなくなる。そうなると、株に投資する意味がなくなり、株式会社のシステムが存続できなくなる。

市場が飽和するのは必然。そこで大量にものを売るのは無理がある。しかし、企業は大量生産・大量消費のシステムから抜けだせずにいる。株式会社は自らの存続のために、どう見ても成長できないのに、判で押したように「経済成長」という。

なくても生活が困らないものを、欲望を喚起して買わせるのが「市場創造」。顧客の弱みにつけ込むような商売に熱心になっている。さもなくば、グローバリズム。発展の余地がある地域に市場を広げるため、参入障壁を排除しようとする。

政治家も政治資金を企業に依存しているので、同じことを言う。市場が永遠に拡大し続けることはない。最後はやけになった企業が戦争をするか、地球環境がもたなくなかもしれない。

文明がある程度進展すると、自由や独立を望む個人が増え、伝統的な家族形態が解体。
女性の自立、晩婚化、結婚をしない選択、核家族化などが進み、人口が減る。

▼ウォルマート(グローバルマーケット・巨大小売店)
キャッチフレーズは「Every Day, Low Price」。毎日安売り。最初は雇用が生まれ、安い商品が手に入るのでプラスの効果を生み出す。しかし、価格や品揃えで太刀打ちできない地域の個人商店が姿を消し、商品を納めていた地域の業者が次々と潰れていった。ある日、製造能力を超えたオーダーが寄せられる。仕方なく、近隣メーカーに製造を委託し、技術が流出してしまう。ウォルマートが技術を盗み、似たものを中国で安く製造。プライベートブランドの冠をつけて安く売り始める。

巨大な小売店は、非常に巨大な消費者でもある。仕入れ価格を叩いて大量に安く買い上げた商品を、消費者は安さに釣られて買う。その消費は、地場の産業や経済を破壊するのに加担することにつながる。売り手も買い手も安さを追求することが当たり前になり、住民と店舗をつないでいたゆるやかな共同体が失われ、まちが消費するだけの場所になってゆく。

それを防ぐには、消費者が「賢い消費」を実践するしかない。どこの店で何を買い、どういう生活を営むかは、地域の経済をつくる重要な意味がある。まちをつくるのは、その地域に暮らす消費者。消費者が自分たちの意志で、コミュニティを守らなければいけない。地元で買えるものはなるべく地元で手に入れるのが、ひとつの確かな道ではないか。

▼マズローの欲求5段階説
生存条件が満たされれば、自分を精神的に豊かにしてくれるものを欲する。私たちが必要だと思うものと、企業が売るものの間に、大きなミスマッチがある。人は他人と同じでありたいと思うと同時に、他人とは違っていたいと思う。このような矛盾した欲望が、消費社会を駆動させる。お金だけが人との違いを生み出す道具になってしまっている。人間を豊かにしてくれるのは、有益性だけではない。無益であっても、人間を成長させてくれる滋養物のようなものがある

▼多様性
いろいろな人間が普通に生きていけるのが「いい世の中」だと思う。人間は本来、多様性の中で生きてきた。これを一様にすることは、生きる力を弱めてしまう。多様な生き方、暮らし方を可能にする「小商い」。棲み分けを許容しないのが、グローバリズムの問題点。棲み分けながら両者の交流を保つのが、成熟社会の目指すべき方向性ではないか。

文化や産業、社会システムが異なる国どうしが、隣り合って存在できること。これが国家の多様性。グローバリズムとは、国家の多様性を否定すること。国民国家の枠組みよりも、グローバルビジネスの利便性を優先させるためのもの。グローバル企業が自らの利益を最大化させるための戦略でしかない。大量消費を続けることは、グローバル企業の手口に加担すること。

▼価値観
価値観を変えることで、消費行動を帰ることができるはず。そのカギを握るのが、生産者としての側面を回復すること。お金儲けをするのではなく、生きていくこと。生活に直結しない無駄な消費をやめるだけで、けっこう豊かな生活ができる。

▼小商い
儲けようとしない。自分たちが暮らしていくために、やれる範囲のことをやればいい。小商いの担い手と、店を支えるお客さんが、顔の見える関係を気づくのは重要。日本を支えているのは、少数の大企業ではなく、大多数の中小企業。小さな企業と小商いが、大きな儲けは得られずとも、着実に稼ぎを得られる循環をつくることが大切。昔は、多くの人が生きていけるように、仕事を分けあっていた。ワークシェアリング。

▼経済成長しない社会の再設計
お金というものさしでしか、成長の指標を考えられないのが問題。
目に見えない資産を発見して評価するシステムが必要。
まずは進歩や進化という概念から、自由になる必要がある。
進歩や進化を追求するのではなく、循環型のサステイナブル・コミュニティをつくろう。

▼縁
まわりに助けてくれる人がいれば、生きていける。


続!原始重力波の痕跡の検証



宇宙の起源に迫る「原始重力波」の痕跡を確認した――。世間を揺るがした大ニュースを2カ月ほど前、「宇宙の起源に迫る! ついにとらえた「原始重力波」からのメッセージ」と題して、未来館ブログで取り上げました。この発表の真偽が今、厳しい目にさらされています。19日に米国物理学会の学会誌「Physical Review Letters」に発表された論文には、研究成果とともに“注意書き”も記されました。今回のブログでは、この発表の検証されるべきポイントを解説します。検証ポイントは以下の3つです。

①「銀河の塵の効果」が不確か
②「r比」が予想より大きい
③「限られた領域」から「全天」へ

まずは前回のおさらい

まずは前回のブログを簡単におさらいしましょう。宇宙は生まれてすぐ、急激に膨らんだと考えられています。そしてアインシュタインは予言しました。時空が歪められると、時空のゆらぎが波として伝わる「重力波」が生まれると。その宇宙が誕生した瞬間に生み出された重力波を「原始重力波」と呼んでいます。


そして、原始重力波は「宇宙の晴れ上がり」のころの若々しい光に、ある“痕跡”を残しました。それが、渦を巻いているような偏光パターン「Bモード」です。この特殊な偏光パターンを観測することで、原始重力波を間接的に観測したというのが、前回の発表の肝でした。(何言ってるか分からん!って方は、「前回のブログ」をご覧ください)


 登場する装置の紹介



次に、今回のブログで登場する2つの装置を紹介します。原始重力波の観測に挑む実験は、大きく2つに分けられます。ひとつは今回発表された実験で活躍した装置「BICEP2」のように、地上から光を観測するもの。そしてもうひとつは、打ち上げた衛星を使って宇宙から光を観測するものです。宇宙から観測する実験の代表的なものとして「プランク衛星」が挙げられます。より鮮明な宇宙マイクロ波背景放射の画像を送ってきた衛星として、聞き覚えがあるかもしれません。


検証①「銀河の塵の効果」が不確か

今回発表された論文に書かれた“注意書き”とは、このようなものでした。


今回の実験データで「宇宙マイクロ波背景放射のBモード偏光を観測した」のは確からしいです。問題は「何が原因で偏光したのか」です。実は、原始重力波だけでなく、他にも偏光させる要因が少なくとも2つあるんです!ひとつは、強い重力で光が曲げられる「重力レンズ効果」によるもの。もうひとつは、「銀河の塵の効果」によるものです。銀河の塵は磁場の影響で向きがそろっているため、反射する光の波の振動方向がそろって偏光します。


そして、先ほどの“注意書き”の「塵から放出されている可能性」というのが、「銀河の塵の効果」のことです。この塵の効果ははっきり分かっておらず、不確かな部分が多いのです。だから今回の結果について、「原始重力波の影響ではなく、銀河の塵の効果により偏光したのではないか」と疑問が投げかけられているのです。


検証②「r比」が予想より大きい

プランク衛星の実験グループが昨年、原始重力波の強さについてある発表をしました。原始重力波の強さを表すものとして「r比(スカラーテンソル比)」と呼ばれる値があります。プランク衛星の実験グループは昨年、このr比が「0.12より小さい」と発表しました。しかし、今回のBICEP2の発表では、「0.2」とし予想よりも大きな値が出ました。つまり、プランク衛星の予想よりも、原始重力波の大きさが大きいことを示したのです!

「発表を聞いてまず最初に、r比が大きいことに驚きました」

宇宙は誕生した直後に急膨張したとする「インフレーション理論」の提唱者のひとりである、自然科学研究機構の佐藤勝彦機構長は、こう話していました。このほかにも、多くの研究者がこの値の違いに注目しています。

検証③「限られた領域」から「全天」へ

もうひとつ、BICEP2とプランク衛星の実験で大きく違うことがあります。それは、観測する範囲です。地上で観測するBICEP2は、ある限られた領域からの光を詳しく観測しています。しかし、宇宙から観測するプランク衛星は、すべての方向からやってくる「全天」の光を観測しています。


プランク衛星のデータは10月にも発表か?

今回のブログでは、検証するポイントとして3つ挙げましたが、今批判にさらされている根拠は、検証①の「銀河の塵の効果が不確か」という指摘です。しかし、ご安心ください。先ほどから名前が上がっているプランク衛星は、この銀河の塵の効果も詳しく測定しているんです! そしてなんと、プランク衛星の最新のデータが、今年10月にも発表される予定なんです!


真理を探求するための道

ここまでの文章を読んで、何を感じたでしょうか? 「BICEP2の発表は間違い!?」のような記事も見かけますが、騒ぐことではないような気がします。宇宙は急膨張しているという「仮説」をたて、実験データに基づいて「検証」し、静かに「反証」を待つ。これこそ科学が通ってきた道であり、真理を探求するための方法だと私は思います。

科学としてあるべき姿だと思います

佐藤機構長は、眼鏡の奥の目を鋭くさせて、こう語りました。いずれにせよ、プランク衛星の実験グループの発表が待ち遠しくてたまりません。「宇宙はどうやって始まったのか」。好奇心あふれる問いに迫る瞬間に立ち会えることに、幸せを感じます。


検証ポイント

銀河の塵の影響」が不確か
② 「r比」予想より大きすぎる
「限られた領域」から「天」

→10月のプランク衛星実験の発表により検証されるだろう

▼銀河の塵の影響の不確定性
「宇宙マイクロ波背景放射のBモード偏光を観測した」のは間違いない。
問題は何が原因で偏光したのか。
偏光の起源には、以下のものがある。
①原子重力波によるもの
②伝わってくる間での重力レンズ効果によるもの
③銀河の中の塵が発する偏光

天の川銀河の中にある塵の影響による偏光にはかなりの不確定性がある。
銀河の塵の影響が正確に分からないと、結論が出ない。
プランク衛星実験は銀河の中の塵による偏光の効果の正確なデータを公表する予定
【検証ポイント】銀河の塵の影響が不確か

▼r比が大きい
プランクは2013年、全天を観測して r=0.12以下としていた。
BICEP2の発表では、r=0.2 とそれよりも高い値だった。
検証ポイント】r予想より大きすぎる

r比(スカラーテンソル比)とは・・・
原子重力波の振幅の2乗を、原子曲率ゆらぎの2乗で割ったもの。
重力の大きさに対する相対的な重力波の大きさを表す。
スカラーゆらぎとテンソルゆらぎの比(r=P_T/P_S)
宇宙初期の量子ゆらぎでできた重力波の強さを表す。


▼観測する領域
BICEP2は宇宙の限られた領域を詳しく観測している。
プランクは全天のデータ
【検証ポイント】「限られた領域」から「全天」へ


▼コメント
「様々な観測データを組み合わせて宇宙の理解が進んでいくというのが、科学の健全なあり方だと思います」(大栗さんのブログ)


BICEP2の発表が間違いだったというわけではなく、多彩なデータがでそろうことで検証され、データの正確さにより磨きがかかっていくということ。

10月のプランク衛星実験の発表が待ち遠しい。宇宙が生まれて138億年の歴史の中で!宇宙の真理が少しずつ解き明かされていく瞬間に立ち会えて、たまらない。

▼Letters
【Abstract】
However, these models are not sufficiently constrained by external public data to exclude the possibility of dust emission bright enough to explain the entire excess signal.

私たちのモデルは外部データを十分に踏まえておらず、すべての余分な信号が塵から放出されているという可能性を排除しきれていない。

【Conclusion】
However, these models are not yet well constrained by external public data, which cannot empirically exclude dust emission bright enough to explain the entire excess signal.


地球のほかにも生命はいるの?


あたりを見回してみてください。どんな生き物がいますか? お父さんやお母さん、犬や猫などがいるかもしれません。地球には、人間や鳥、魚、植物など数100万種類もの生命であふれかえっています。

地球のほかの星にも生き物はいるのでしょうか?

まず身近な太陽を回っている惑星はどうでしょうか? 生命が誕生するためには液体の水が必要だと考えられています。地球のとなりにある火星の地下には、液体の水があるかもしれず、生命の探索が進んでいます。しかし、残念ながらまだ見つかっていません。

でも、あきらめるのはまだ早いです! 夜空を見上げてみてください。宇宙には数えきれないほどの星があります。しかも、見えているのは太陽のように自分で光っている星だけ。暗闇の中にも、光を放たず見えていない星もたくさんあるんです。このように、明るい星の周りを回る暗い星を、太陽系の外の惑星なので「系外惑星」と呼びます。

【図:ハビタブルゾーン】

宇宙には、生命が誕生しやすい場所があります。それは、液体の水が存在できるほど、太陽のような熱い星からちょうど良く離れた場所です。例えば、地球よりも太陽に近い金星の平均気温は約450℃。水は蒸発してしまいます。また地球よりも太陽から遠い火星の平均気温は−60℃ほど。水は凍ってしまいます。地球は太陽から近くもなく遠くもなく、水が液体でいられる「ちょうど良い場所」にあるのです。

となると・・・「ちょうど良い場所」にある「系外惑星」を探したくなりますよね。探しました。そして、ついに見つけました! その星のひとつが「ケプラー186f」。水があるかもしれず、大きさは地球と同じくらい。最初の絵のような星だと考えられています。

広い宇宙には、このような地球によく似た星がたくさんあると考えられています。そこには生命がいるのでしょうか? 人間のような知的生命体である「宇宙人」はいるのでしょうか? 妄想は膨らみますね!

系外惑星


ケプラー宇宙望遠鏡

NASA(米航空宇宙局)が2009年、地球型の太陽系外惑星を探すために打ち上げた。15万個以上の恒星の明るさを測定。惑星が主星を隠すときに生じる周期的な明るさの変動を検出して、系外惑星を探している。2014年2月までに715個の太陽系外惑星を見つけた。しかし、残念なことに2013年に姿勢制御系のトラブルで復旧不可能になり、主観測ミッションを終了した。ケプラー宇宙望遠鏡のデータから分かるのは、だいたいの大きさ、恒星からの距離、公転周期、推定表面温度のみ。

ケプラーは、惑星の前面通過による恒星の明るさの変動を利用して検出する「トランジット法」で惑星を探している。トランジットが観測できるケースは、地球上で真横から軌道を観測できる惑星系のうち、わずか1%程度。トランジットが定期的に発生する場合、その頻度をもとに惑星の軌道半径を計算できる。またそのサイズは、恒星の光の変動量(わずか0.1%程度)で測定する。  数字の精度は、より内側の惑星の方が高くなるという。複数回のトランジットでの検証に要する日数が少なくて済むためだ。

地球によく似た「ケプラー186f」


2014年3月には、地球とほぼ同じ大きさの系外惑星「ケプラー186f」が発表された。493光年先にある赤色矮星の周りを公転していて、生命が存在する可能性のある領域「ハビタブルゾーン」にある。惑星表面に液体の水があるかもしれない星だ。ハビタブルゾーンにある地球と大きさが似た惑星は、初めて見つかった。

ケプラー186fは、赤色矮星ケプラー186を公転する5つの惑星のうちの1つで、直径が地球の1.1倍。大きさから岩石型と考えて間違いなく、地球の1.5倍の質量と推定されている。中心の赤色矮星は太陽の半分ほどの大きさで、温度や光度も下回る。一方、地球より公転軌道が小さいケプラー186fは、わずか130日で恒星を公転する。恒星からの熱は地球よりも少ないが、温室効果をもたらす大気が存在すると仮定すれば、海が凍らない程度に温かいと考えられる。

重い岩石惑星・メガアース「ケプラー10c」


ケプラー10cの質量は地球の17倍以上、半径は地球の2.3倍。小さくて重いことから、岩石でできていると推測した。周りにガスがないことが不思議。

ケプラーの観測では、惑星が中心星の手前を通過する時の減光量から、惑星の直径が約2万9000km(地球の約2.3倍)であることがわかっていた。さらにガリレオ国立望遠鏡を用いた観測で、惑星の重力による中心星のわずかなふらつきを計測。惑星が地球の17倍の質量を持つことをつきとめた。大きさと重さから、その組成はガスではなくより高密度の岩石であることも判明した。

これほど重い天体では重力で水素ガスが大量に集まり、木星のような巨大ガス惑星になると考えられてきた。もしこの惑星に大気があれば、重力で留められて失われることなく、形成された時のままの状態と考えられる。

 ハビタブルゾーン

宇宙の中で生命が誕生するのに適した領域。「生命居住可能領域」と呼ばれる。他の天体から放射されるエネルギー量を考える「惑星系のハビタブルゾーン(HZ)」と、星間物質の量を考える「銀河系のHZ」がある。惑星系のHZの距離は、生命が生き延びるためには液体の水が必要との考えに基づき、惑星の表面温度が液体の水を維持できるかもしれない程度としている。

太陽系のHZは0.97~1.39AU(1AU:天文単位・地球と太陽との平均距離)で、地球だけが含まれている。HZよりも太陽に近い金星は、太陽から放射されるエネルギーが強すぎて、水が蒸発してしまう。またHZよりも太陽から遠い火星は、逆にエネルギーが弱く、水があったとしても凍ってしまう。



葛巻町・エネルギー自給率160%のまち


人口6741人(2014.2.1現在)ここ10年で1300人減った。
1000mを超える山々に囲まれた山村。86%が森林。
「ミルクとワインとクリーンエネルギーのまち」
酪農とヤマブドウを使ったワインが盛ん。
電力自給率160%。
1日あたりの牛乳生産量120t。
林業:カラマツ集成材→建設用材

▼歴史
戦前は林業と軍馬生産。戦後は林業と酪農に力を入れた。1975年に北上山系開発事業が着工。牧草地や農道75㎞、牧場への送電線が整備された。


▼くずまき高原牧場
1892年にヨーロッパから乳牛が導入された。1975年、大規模な畜産団地作りを開始。牧草地1100ha、農道75kmを整備した。翌76年に葛巻町畜産開発公社を設立。酪農家から牛を預かって、妊娠させて返す事業を始めた。
日本全国から、年間1800頭の子牛が預けられる。夏は山で放牧。10月末に山から降りて牛舎に入る。町内には11000頭の乳牛がいる。(住民より多い!)
糞尿は1日あたり400〜500トン。

▼畜糞バイオガスプラント
糞尿を肥料に変えるときにエネルギーを生み出す。
メタンガスを使って発電。
プラントの処理能力は1日あたり13トン(乳牛200頭)
13トンの糞尿と、200kgの牧場内からでる生ごみを混ぜて発酵。
発電機は37kW。熱は43000kcal。回収して施設内で活用している。
どうやって
熱はどうやって活用してる
→もっと拡大できない理由は?

▼木質バイオマス・ガス化発電設備
発電出力:120kW、熱回収量:266kW
エネルギー効率:電気24%+熱回収率51%=総合効率75%
1日あたり15時間稼働させて、3トンのウッドチップを利用
主な原料はカラマツの間伐材を使用
→試験事業の結果は?

▼木質バイオマス
葛巻林業が1981年、木質ペレットの製造事業を開始。製紙用のチップ製造の際に生まれる樹皮の処理費用を減らす目的で始まった。
国はオイルショックを受けて、石油の代替エネルギーのひとつとして、木質ペレットに注目。一時は全国で20カ所の工場ができたが、石油価格の低下により最後まで残ったのは葛巻林業を含めた3カ所だけだった。
→なぜ残れた?

▼ペレットボイラー・ストーブ
森の館ウッディ、25万kcalを暖房に使用(1988)
介護老人保健施設「アットホームくずまき」50万kcal×2基を暖房と給湯に使用(2003)
ペレットストーブのリース事業(2003)




▼グリーンパワーくずまき風力発電所
1750kW×12基:21000kW、直径66m、デンマーク製
年間予想発電量は5400万kWh。16000世帯分に相当する。
葛巻町の年間消費電気量(どれだけ?)の2倍に相当する。

大型風車の建設には数十メートルのタワーや羽根を運ぶため、大型トレーラーが通れる道路を整備する必要がある。牧場開発で作った農道が生かされた。
1999年に袖山高原に400kW×3基の風車を建設。2003年に電源開発が上外川高原に21000kWの風車を建設した。

今では風力、太陽光、牛糞をメタンに変えるバイオガス発電プラント、
ペレットボイラーなど、さまざまな再生可能エネルギーを導入している。


▼鈴木重男町長
「酪農、森、山は葛巻に昔からあった。しかし、そこから生まれる牛のふん尿、間伐材、山の上の吹きっ放しの風は(利用しなければ)無駄なものだ。これらを考えた先に、クリーンエネルギーがあった」

真っ黒焦げのカプセルの謎




宇宙飛行士の若田光一さんを無事に地球に帰還させた、ロシアの有人宇宙船「ソユーズ」。今回は地球にたどり着いたカプセルを、詳しく観察してみたいと思います。

カプセルは釣り鐘のような形をしていて、高さは約2.1メートル。大男の身長よりも少し高いほどの大きさです。中には3人の宇宙飛行士が乗ることができます。それでは、表面をよーく観察してみましょう。何か気づきましたか? 表面が黒いですね。実は真っ黒焦げになっているんです!

なぜカプセルは真っ黒焦げになったのでしょうか?

その謎をとく鍵は、私たちが普段あまり気にしていない「空気」です。空気も私たちと同じように重力で地球に引っ張られています。だから、地球から離れれば離れるほど、重力が弱くなって空気が薄くなっていきます。若田さんが半年間暮らした、国際宇宙ステーション(ISS)の近くの宇宙には、ほとんど空気がありません。そして、空気がほとんどない宇宙から、空気がある地球に高速で突っ込むときに、カプセルが火の玉のように熱くなってしまうんです!

皆さんは自転車のタイヤを、空気入れを使って膨らませたことはありますか? そのときに、タイヤや空気入れが少し熱くなっていたと思います。実は気体を急に圧縮すると、気体の温度が上がるんです。逆に、スプレー缶を噴射したあとに、缶が冷たくなりませんでしたか? これは先ほどと逆で、急に空気を膨張させたので温度が下がった例です。

ソユーズのカプセルが、時速600㎞ほどで空気に突っ込んだときにも、空気が急に圧縮されるので空気の温度が数千度にまで上がります。だからカプセルが真っ黒焦げになっていたんですね。このように宇宙から地球近くの空気に高速で突っ込むことを「大気圏再突入」と呼んでいます。

最後に、小惑星探査機「はやぶさ」のカプセルが大気圏再突入したときの、美しい写真を紹介します。これは、突入したときの激しい光が夜空を彩った“人工の流れ星”です。



カプセルが高速で大気圏に突入すると、
進行方向の空気が断熱圧縮され、高温になる。
→何℃まで上がる?
→カプセルの素材は?

カプセルの直径は2.2m、高さは2.1m。釣鐘型。
ソユーズのカプセル(帰還船)の表面は、
プラスチックで出来た耐熱材「アブレータ」で覆われている。

大気圏に再突入すると、
アブレータ自体が溶けて熱分解し、
融解熱と分解熱、炭化したアブレータによって内部を保護する。

再突入時、機体は数千℃という高温にさらされる。機体の外側は「アブレータ」と呼ばれる耐熱素材で覆われている。アブレータは高温になると、表面から溶けて炭化。そのとき発生するガスが膜となって熱の流入を抑える。また、気化熱によって熱を逃がし、内部に高熱が伝わるのを防ぐ。

▼再突入の高度
高度約100㎞、速度170m/s(時速612㎞)

宇宙から戻ってくる経路を計算する場合には、便宜的に再突入点として高度120kmを使うことがありますが、それは、そのあたりより低い高度では大気の影響を取り入れた方がいいことから、計算に使うプログラムを変更したりする切替点として使っているだけです。実際に空力加熱や空気の力が大きくなってくるのは、高度80km前後です。


再突入のときに強い光を発する?
→はやぶさの再突入の写真・動画を使う?