サイエンスカフェ構想

常設型のサイエンスカフェ
大学や研究所などと連携してやりたい
年会費を支援してくれるサポート組織を設立する

収入は・・・
カフェ利益、科学に関する本や雑貨の販売、
サポート組織の年会費、地域に密着したリトルプレスの販売、
講演会・交流会参加費

科学ブランドの確立

教育事業に進出(科学のみ)

床から天井まである備え付けの大きな本棚に科学の本を埋め尽くしたい
中身を解説できるようになりたい
その知識はジャーナリストの活動にも役立つ

プロジェクターを設置して大画面を作りたい
講演会やプレゼンにも使えるし、科学映像も流せる。


【今後やりたいこと】
 全国のサイエンスカフェの組織の動きを調べたい
 「国立科学博物館サイエンスコミュニケータ」について調べる

なぜサイエンスカフェをやりたいのか


なぜ「サイエンスカフェ」をやりたいのか

高校から大学のころから
「理系と文系の橋渡しをしたい」と考えていた。

なぜそう思ったのか・・・?

テレビから伝わる政治を見ていて
「科学を用いて推測できる近未来のビジョンが政策に生かされていない」
と感じたから。

具体例は「太陽電池の政策」
日本は世界一の技術力と発電量だったが、
買電制度や補助金の政策が二転三転して迷走し、
世界一の座を明け渡した。

ジャーナリストの立場で理系と文系の橋渡しをして、
意見の提案や政策の提言ができていれば状況は変わっていたかもしれない。
もどかしさを感じた!

モレスキン


【目的】
「ユビキタスキャプチャー」浮かんでは消える脳の情報を細大漏らさず書き留める
 GTD、我究を向上させる

【記録するのがよい情報】
・日々の出来事を時系列順に
・タスク(ToDo)
・スケジュール
・本、映画、音楽などの感想
・アイデア
・食生活や運動(健康管理)
・店の感想

独自のアイコンを使う
不意にやってくる昔の記憶の断片
普通紙に写真を印刷して貼る


「毎日レビュー」(15分)
① 情報の補完
 メモの段階で気づかなかった考えを足す

② 情報の同期
 デジタル情報に同期(カレンダー、タスク管理)

③ 情報の強調
 重要な箇所を色付けし、情報を立体的にする
 タグ付け、カテゴリ分け

④ 検索性の向上
 ページ数を書く
 ページをつなぐハイパーリンク


「週次レビュー」(週末30分)
情報のつながりを見つける
散らばっているアイデアの断片を集める
毎日レビューでできなかった補完、タグ付け、色分け
類似情報をハイパーリンクでつなげる
索引作り
飛び飛びになったメモをスレッド化する
州の目標を立てる


【ビジネス活用術】
マスを時間のゲージとして使用する
タスク、スケジュールは同期しやすいようにアイコンを使う
同期を終えたらチェックする
タスクには実行可能な場所を付け加える
2つ以上のアクションはプロジェクト化する
受信箱→アクションが集まる場所
プロジェクト→アクションを生み出す場所

【生活活用術】
たまに万年筆で書くと目に留まりやすい
読書日記(購入日、読書開始日、読了日、書籍名) 
印象深い箇所の抜き出し(ページ数を書く)
トラベルノート(行きたい場所、したいこと、買いたいもの、会いたい人)
健康記録(食生活、体重、体脂肪、運動、睡眠、体調)

村上スキーム


▼地域医療再生
【専門医ではなく総合医が必要】
高齢化社会が来ることは分かっていたのに、専門医ばかり育てた
総合医を育てることが大事

医療現場で育成しているのは珍しい稀な病気に対応するスペシャリストばかり
風邪や高血圧などの生活習慣病が一番多いのに専門医ばかり育てるのはおかしい

【予防医療に力を入れるべき】
感染症の病気から生活習慣病にシフトしている
高齢社会にあわせて予防医療にシフトチェンジすべき

かかりつけ医を持って、自分の病気や健康に関心を持つべき

高齢化率が高い田舎はプライマリケア医を配置して、予防とケアに特化すべき

最終目標は「医療費の公費助成」
予防に力を入れている人に助成し、悪しき平等に差を付ける


▼医療崩壊の要因
【住民の意識】
地域医療の崩壊の原因は住民意識、住民の権利意識が強くなってしまった
それを作り上げた政策、医師、マスコミの責任
まずは自分でできる予防はやろう。治療の質を問うのはそれから

【医師臨床研修制度】
医師に職業選択の自由が与えられてよかった。要旨は悪くない
2年間で全部の科を回って研修する。悪くない。
大学に人がいなくなったから地域に医師がいなくなったのであって、研修制度が悪いのではない


▼「ウォンツ」「ニーズ」の定義
「ウォンツ」個人の過剰な要求
「ニーズ」 社会的に意味のある必要な要求


【モデル】
 岩手県藤沢町「藤沢町民病院」
  地域包括ケアのモデル、リハビリのためにプールを夜間無料開放
 長野県「佐久総合病院」・若月医師
 新潟県「ゆきぐに大和病院」・斎藤医師

【Book】
「まちの病院がなくなる!?地域医療の崩壊と再生」・伊関友伸
「医療崩壊『立ち去り型サボタージュ』とは何か」・小松秀樹
「死に場所づくり 地域医療・地域福祉のめざすもの」・斎藤芳雄
「希望のケルンー自治の中に自治を求めた藤沢町の軌跡」・大久圭二

郷土食

ホームページに郷土食をまとめてみてはどうか。

尾鷲市に来てからであった郷土食
・あぶり
・虎の尾
・くき漬け
・茶じふ
・サンマ寿司
・めはり寿司

タンパク質

【Point】
・摂取カロリーの10〜15%(自分の場合は約80g)はタンパク質
・タンパク質はアミノ酸の鎖
・アミノ酸は22種類
・そのうち必須アミノ酸8種類は体内で合成できない
・植物性タンパクだけではすべてのアミノ酸は摂取できない
・卵、肉、魚、乳製品のタンパク源は良質
・過剰摂取すると窒素が増えて腎臓に負担をかける
・牛肉は脂質が多い
・魚は低脂質で高タンパク質、EPAを供給する。
・卵は最善のタンパク質。(調理すべき)

■植物性のタンパク源
大豆製品:豆腐(1丁=200g:12g)納豆(1パック=25g:4g)豆乳

脂質

【Point】
・脂質を総カロリーの30%(自分の場合79g)以下に抑える
・脂質の半分以上を一価不飽和脂肪酸にする
・多価不飽和脂肪酸と飽和脂肪酸の比率を1:1にする
・脂質は1g=9kcal
・飽和脂肪酸は常温で個体、不飽和脂肪酸は液体
・不飽和度が大きいほど透明度が上がりさらさらになる

■脂肪酸の種類
 飽和脂肪酸 動物性脂質、牛脂、ラード、バター(n-6)
 不飽和脂肪酸

■n-3系油を含む食品
 緑陽植物の葉緑体、冷たい海洋の青魚、木の実、植物種子(亜麻、ゴマ)

■n-6系油を含む食品
 動物性脂質、トウモロコシ、大豆、ヒマワリ

■脂肪酸の代謝
 ○ α-リノレン酸(ALA)→エイコサペンタエン酸(EPA)
        →プロスタグランジン3(PGE3)・ロイコトリエン(非組織損傷性)
 × リノール酸(LA)→γ-リノレン酸(GLA)→アラキドン酸(AA)
        →プロスタグランジン2(PGE2)・ロイコトリエン(組織損傷性)


■植物油の成分
α-リノレン酸(n-3)が多い 亜麻仁油、なたね油(キャノーラ油)
リノール酸(n-6)が多い  紅花油、コーン油、大豆油、ヒマワリ油
オレイン酸が多い     オリーブ油(大さじ1=12g、ビタミンE:1g)


【欠点】n-3系油のロイコトリエンはフリーラジカル反応(酸化的過程)を引き起こし、
    がんの発生と関連があるとされている。
    抗酸化剤としてビタミンE(70〜250mg)を同時に摂取すべき。
    抗酸化作用はビタミンCと一緒に摂ると効果的

■ビタミンEを多く含む食品
 カボチャ(1kg:60g)キウイ(1個:1.3g)ほうれん草(1株:1g)春菊(1束:2g)
 小松菜、ブロッコリー

検証すること

自治体の活動は、「やりました」で完結することが多い。

その効果は、何が変わったのかを「検証」するのが新聞記者の仕事

検証・まちなか

新しいプロジェクトを立ち上げる。

その名も「検証・まちなか」

尾鷲市に伝えたいこと

尾鷲市に来てから早くも1年10カ月以上が経った。
今年の8月で移動となれば、尾鷲市での仕事は残り2カ月を切ったことになる。

尾鷲市にいる間にこれだけは伝えたいことをまとめておく。

【検証・まちなか】
 尾鷲市は「まちなか」の商業スペースを充実させて、
 そこに観光客を呼び込む政策の方向性を打ち出している。
 その「魚のまち」のツールの一つとして「鯛カレー」を開発している。

 市の考える「まちなか」が駅前から伸びる商店街だとして、
 その場所に市の予算を投資すると言っている。
 その方向性が妥当なのかを検証する。

①予想では、「まちなか」の商店街を作っている経営者はかなりの高齢者ばかり。
 後継ぎを考えている店は少ないように思える。

 駅前発展会、駅前商店街、一番街商店街、栄町商店街、中井町商店街
 この5つの商店街の店にアンケートをとって検証したい。
 質問は、店の業種、年齢、後継ぎの予定(誰が)、月平均売り上げ

②観光客の移動手段は?
 考えられるのは、自家用車、大型観光バス、JRの3つだろう。
 どのくらいの割合なのか・・・。市は検証していない。

 ● 自家用車
  自家用車の100%は国道42号から入ってくる。
  呼び込む工夫はあるだろうか?
  まちなか付近に駐車場はあるだろうか?

 ● 大型観光バス
  大型観光バスの動向は、海山側から馬越峠を超えてくるだろう。
  バスはどこで観光客を拾うのだろうか?


【ITの充実が遅れている】

二重被爆CMTG

①小冊子「尾鷲にも戦争があった」作成
 17日(月)校正
 17日の週に印刷お願い

②講演会の話し手を決める
 安部一美さん
 森本一利さん
 糸川昭二さん
 神保幸子さん

③講演会の進行役を決める
 上村さん
 世古さん
 七見さん

④広告戦略
 5月31日(月) 記者会見
 老人クラブ連合会での販売
 ポスター、A4チラシ
 ブログで告知

⑤ポスター、チラシを注文する

⑥A4チラシ、チケット作成
 4月20日(木)まで

⑦チラシに載せる情報
 日時
 場所
 内容
 料金
 チケット販売

⑧チケット販売
 スケール
 矢浜公民館
 熊野古道センター
 クリーム
 妙長寺
 夢古道おわせ
 (千や)
 (カッパ倶楽部)
 (Wink)

小冊子「尾鷲であった戦争」

【時系列で見る尾鷲の戦争】
①東南海地震・津波
 1944(昭和19)年12月7日午後1時36分
 P (2):郡役所に突っ込んだ写真、上空写真
 Fig(1):尾鷲周辺の地図(浸水場所、船が突っ込んだ場所を示す)
 北川に船が2隻突っ込んだ。
 安部さん「家とか船とか沖にいっぱいだった」
 ▶人:森本一利さん(85)体験談

②B29の集結
 1944(昭和19)年12月13日
 P,Figなし(さらっと)
 中部、近畿地方へ空爆に向かうB29(1機)が初めて尾鷲上空を通過。
 その後は毎晩のように300〜400機が集結した。

 海山の空襲
 1945(昭和20)年3月

③中川牧場への空爆
 1945(昭和20)年4月7日
 P (1):爆弾が落ちた中川の現在の写真
 Fig(1):中川牧場の位置を示す地図
 初めての空爆。1回目は海岸沿いに11発、2回目は中川に12発を投下。
 中川牧場の主人が爆死。子どもは両足がなくなった。
 2人が死亡、数人が負傷、乳牛12頭が犠牲になった。
 牛舎を軍需工場に見間違えたのか、機体を軽くするために残った爆弾を捨てたのか原因はわからない。
 2回目の空爆は向井と北側沿いに投下。向井の山道で一人死亡。山火事が発生した。

④三野瀬駅の汽車襲撃
 1945(昭和20)年7月25日
 P (2):山本さんの語る現在の写真、大漁旗作りの写真
 三野瀬駅に停車していた上下線の2列車に機銃掃射。
 死傷人数は13人(紀伊長島の記録)、60人(尾鷲市の記録)
 ▶人:山本昇吾さん( )尾鷲市●町 三野瀬駅で機銃掃射された

⑤駒橋の奇襲攻撃
 1945(昭和20)年7月28日午前7時ごろ
 P(6):駒橋座礁、第45海防艦座礁、駒橋、各人の写真
 尾鷲湾に配備された「海軍熊野部隊」 
 ▶人:安部一美さん( )尾鷲市南陽町 第10昭和丸の乗組員
 ▶人:神保幸子さん( )尾鷲市●町  通信員で空襲を経験
 ▶人:内山雄視さん( )尾鷲市光ケ丘 防空監視員


【ヒアリング座談会】(3P)
 戦争経験者の生の声を聞き、当時の生活をひも解く

⑥食料
 P(1):女性が開墾
 米俵を赤ん坊に見せかけて運んだ
 学校の校庭や山の頂上まで開墾した
 海藻をふやかして食べた

⑦防空壕での生活
 P (1):中村山防空壕
 Fig(2):目と耳を押さえる、赤ちゃんをあやす
 梅雨時は雨漏りがひどかった。
 蒸し暑く息苦しかった。
 赤ちゃんを泣かないようにさせるのが大変だった

⑧訓練の様子
 P(1):バケツリレーの練習風景
 Fig(1):「カツオ釣りか!」
 バケツリレーによる消火活動の練習
 竹槍、なぎなたの練習
 憲兵の怖さ


【現在も残る戦争の傷跡】
⑨防空壕マップ
 P(●):現在の防空壕を撮れただけ載せる

⑩今も残る戦争の傷跡
 P(3):各1枚ずつ
 三野瀬駅の汽車襲撃での弾痕
 三木崎灯台の空襲での弾痕
 慰霊碑

⑪戦争を調べる資料紹介


【付録】

⑫年表(尾鷲市史などを情報源とする)

科学はおもしろい

「科学はのおもしろさを伝えたい」。

科学番組は視聴率がとれないと言われている。
新聞でも科学を扱うページは少ない。

マスコミ業界に理系が少ない。
科学を知らない人には 科学を面白く伝えることは難しい。
面白く科学を伝えたい。

今の(マスコミが作り出した?)理系離れは非常に不利益だ。
「核融合」「超伝導」・・・
革新が待たれている未来に必要な技術は目の前にたくさんある。
人類の幸せのためにも理系人材を育てなくてはいけない。

「科学のおもしろさを伝えたい」。

核融合

小冊子「尾鷲であった戦争」

【時系列編】
 年表を作成(尾鷲市史などを情報源とする)

①地震・津波
 1944(昭和19)年12月7日午後1時36分
 P (2):郡役所に突っ込んだ写真、上空写真
 Fig(1):尾鷲周辺の地図(浸水場所、船が突っ込んだ場所を示す)
 北川に船が2隻突っ込んだ。
 安部さん「家とか船とか沖にいっぱいだった」
 ▶人:森本一利さん(85)体験談

②B29の集結
 1944(昭和19)年12月13日
 P,Figなし(さらっと)
 中部、近畿地方へ空爆に向かうB29(1機)が初めて尾鷲上空を通過。
 その後は毎晩のように300〜400機が集結した。

 海山の空襲
 1945(昭和20)年3月

③中川牧場への空爆
 1945(昭和20)年4月7日
 P (1):爆弾が落ちた中川の現在の写真
 Fig(1):中川牧場の位置を示す地図
 初めての空爆。1回目は海岸沿いに11発、2回目は中川に12発を投下。
 中川牧場の主人が爆死。子どもは両足がなくなった。
 2人が死亡、数人が負傷、乳牛12頭が犠牲になった。
 牛舎を軍需工場に見間違えたのか、機体を軽くするために残った爆弾を捨てたのか原因はわからない。
 2回目の空爆は向井と北側沿いに投下。向井の山道で一人死亡。山火事が発生した。

④三野瀬駅の汽車襲撃
 1945(昭和20)年7月25日
 P (2):山本さんの語る現在の写真、大漁旗作りの写真
 三野瀬駅に停車していた上下線の2列車に機銃掃射。
 死傷人数は13人(紀伊長島の記録)、60人(尾鷲市の記録)
 ▶人:山本昇吾さん( )尾鷲市●町 三野瀬駅で機銃掃射された

⑤駒橋の奇襲攻撃
 1945(昭和20)年7月28日午前7時ごろ
 P(5):駒橋座礁、第45海防艦座礁、駒橋、安部さん、神保さんの写真
 米軍のグラマン戦闘機が6機編成で佐波留島上空に現れ、
 3機は尾鷲湾、3機は須賀利湾の鑑定に奇襲攻撃
 午後4時ごろまで30分間隔で波状攻撃。気銃弾の雨とロケット爆弾を投下してきた。
 軍艦「駒橋」は爆弾を受け浸水。沈没を免れるために国市の浜に座礁した。
 第45海防艦も大破し、天満浦・古里の浜に座礁した。
 尾鷲の住民は中村山防空壕をはじめ各避難所に避難。須賀利の住民は裏山に避難した。
 戦闘で即死した戦死者は72人で、重軽傷者は250人。
 「尾鷲小学校が野戦病院に」
 負傷者は中村山の防空壕内で応急手当を受け、尾鷲国民学校(現尾鷲小学校)に収容された。
 十分な治療ができず死者が続出し、死者は147人にのぼった。
 足がないのに「立たして」
 ▶人:安部一美さん( )尾鷲市南陽町 駒橋の奇襲攻撃のときの第10昭和丸の乗組員
 ▶人:神保幸子さん( )尾鷲市●町  通信員で空襲を経験

【生活編】
 座談会の生の話がおもしろかったので、そのまま会話調で載せます。

⑥食料
 P(1):女性が開墾
 米俵を赤ん坊に見せかけて運んだ
 学校の校庭や山の頂上まで開墾した
 海藻をふやかして食べた

⑦防空壕での生活
 P (1):中村山防空壕
 Fig(1):目と耳を押さえるようす
 梅雨時は雨漏りがひどかった。
 蒸し暑く息苦しかった。
 赤ちゃんを泣かないようにさせるのが大変だった

⑧訓練の様子
 P(1):バケツリレーの練習風景
 バケツリレーによる消火活動の練習
 竹槍、なぎなたの練習
 憲兵の怖さ

【現在編】
⑨防空壕マップ
 P(●):現在の防空壕を撮れただけ載せる

⑩今も残る戦争の傷跡
 P(3):各1枚ずつ
 三野瀬駅の汽車襲撃での弾痕
 三木崎灯台の空襲での弾痕
 慰霊碑

⑪戦争を調べる資料紹介

めがねミュージアム


 福井県は、国内生産フレームの9割以上のシェアを持つめがねの聖地です。「福井のめがね」は日本の優れたモノづくりの技術のひとつ。それを多くの人に知ってほしい、そして、この産地でめがねづくりに携わっている人々にも100年余の歴史と進化を誇りに思ってほしいという思いから、2010年3月にめがねミュージアムはうまれました。


大きな地図で見る

東南海地震・津波の話

森本一利さん(85)祝子さん(82)夫妻
2010年4月

東南海地震での津波の話

午前中の仕事を終えて昼休みのころ、揺れは襲った。
「しこを踏むように踏ん張らないと倒れそうやった」。

仕事場の2階の踊り場に備えてあった防火水槽が、
地震で倒れて滝のように水が流れてきた。

外に避難すると、
コンクリートではない土砂の道が揺れででこぼこに変化し、
腰を抜かしたおじいちゃんが四つん這いではっていた。

午後の仕事は休みになり、中村山の上に避難した。
山の上から津波が押し寄せるようすを固唾をのんで見守った。
「天満浦の防波堤がいっぺんにすぽっとなくなった」。
それだけ一気に海面が上昇した。

尾鷲湾内に停泊していたカツオ船が陸に乗り上げ、多くの家がつぶされた。
当時は長久丸冷蔵の土地に紀州ミカンの缶詰工場があり、
湾内に波にさらわれたミカンが浮いて、黄色い渦を巻いていたという。

家がつぶれたとき、土壁の土が煙のように上がった。
「ものすごい景色やった」と振り返る。
煙がなくなるのを待って、位牌を取りに帰った人が大勢いたが、
その多くは第2波にさらわれてしまった。

小冊子「尾鷲であった戦争」をまとめる

【時系列編】
①地震・津波
 1944(昭和19)年12月7日午後1時36分
 P (2):郡役所に突っ込んだ写真、上空写真
 Fig(1):尾鷲周辺の地図(浸水場所、船が突っ込んだ場所を示す)
 北川に船が2隻突っ込んだ。
 安部さん「家とか船とか沖にいっぱいだった」

②B29の集結
 1944(昭和19)年12月13日
 P,Figなし(さらっと)
 中部、近畿地方へ空爆に向かうB29(1機)が初めて尾鷲上空を通過。
 その後は毎晩のように300〜400機が集結した。

③中川牧場への空爆
 1945(昭和20)年4月7日
 P (1):爆弾が落ちた中川の現在の写真
 Fig(1):中川牧場の位置を示す地図
 初めての空爆。1回目は海岸沿いに11発、2回目は中川に12発を投下。
 中川牧場の主人が爆死。子どもは両足がなくなった。
 2人が死亡、数人が負傷、乳牛12頭が犠牲になった。
 牛舎を軍需工場に見間違えたのか、機体を軽くするために残った爆弾を捨てたのか原因はわからない。
 2回目の空爆は向井と北側沿いに投下。向井の山道で一人死亡。山火事が発生した。

④三野瀬駅の汽車襲撃
 1945(昭和20)年7月25日
 P (2):山本さんの語る現在の写真、大漁旗作りの写真
 三野瀬駅に停車していた上下線の2列車に機銃掃射。
 死傷人数は13人(紀伊長島の記録)、60人(尾鷲市の記録)
 人:山本昇吾さん( )尾鷲市●町 三野瀬駅で機銃掃射された

⑤駒橋の奇襲攻撃
 1945(昭和20)年7月28日午前7時ごろ
 P(5):駒橋座礁、第45海防艦座礁、駒橋、安部さん、神保さんの写真
 米軍のグラマン戦闘機が6機編成で佐波留島上空に現れ、
 3機は尾鷲湾、3機は須賀利湾の鑑定に奇襲攻撃
 午後4時ごろまで30分間隔で波状攻撃。気銃弾の雨とロケット爆弾を投下してきた。
 軍艦「駒橋」は爆弾を受け浸水。沈没を免れるために国市の浜に座礁した。
 第45海防艦も大破し、天満浦・古里の浜に座礁した。
 尾鷲の住民は中村山防空壕をはじめ各避難所に避難。須賀利の住民は裏山に避難した。
 戦闘で即死した戦死者は72人で、重軽傷者は250人。
 人:安部一美さん( )尾鷲市南陽町 駒橋の奇襲攻撃のときの第10昭和丸の乗組員
 人:神保幸子さん( )尾鷲市●町  通信員で空襲を経験

⑥尾鷲小学校が野戦病院に
 P(0):なし
 足がないのに「立たして」
 中村山の防空壕でフジイトシ先生(?)が活躍
 負傷者は中村山の防空壕内で応急手当を受け、尾鷲国民学校(現尾鷲小学校)に収容された。
 十分な治療ができず死者が続出し、死者は147人にのぼった。

【生活編】
⑦食料
 P(1):女性が開墾
 米俵を赤ん坊に見せかけて運んだ
 学校の校庭や山の頂上まで開墾した
 海藻をふやかして食べた

⑧防空壕での生活
 P(1):中村山防空壕

⑨訓練の様子
 P(1):バケツリレーの練習風景
 バケツリレーによる消火活動の練習
 竹槍の練習
 憲兵の怖さ

【現在編】
⑩防空壕マップ
 P(●):現在の防空壕を撮れただけ載せる

⑪今も残る戦争の傷跡
 P(3):各1枚ずつ
 三野瀬駅の汽車襲撃での弾痕
 三木崎灯台の空襲での弾痕
 慰霊碑

⑫戦争を調べる資料紹介

調べたい

佐久総合病院の農村医療

尾鷲PA構想

高速延伸で絶対に欲しいハード「尾鷲PA」。
そこららへんにあるようなPAではいけない。
オリジナリティのあるものにしなければいけない。

【Idea01】「干物を買ってすぐ焼いて食べる」
 尾鷲の特産物である干物の物産スペースを作り、
隣接して和室のスペースを設ける。
畳の広い場所で靴を脱いでくつろげる。
七輪を家族で囲み、買ったばかりの干物を焼いて食べられる施設。

【Idea02】「泥レススタジアム」

ビル・ゲイツ氏と東芝が次世代原子炉開発へ

 電機メーカー大手の東芝とアメリカのマイクロソフト社の創業者、ビル・ゲイツ氏が、次世代原子炉を共同開発することで交渉を始めた。ベンチャー企業はゲイツ氏が出資する「テラパワー」。昨年11月、ゲイツ氏とテラパワー幹部が来日し、東芝側に協力を求めた。12月には両社が秘密保持契約を結び、技術協力の可能性を探る検討作業に入ったという。

 東芝によると、テラパワーが開発を進めているのは「TWR」と呼ばれる次世代原子炉のひとつ。現在世界で稼働している「軽水炉」が使う濃縮ウランを燃料とせず、天然ウランやウランを濃縮する際にできる副産物の劣化ウランを使う。実現すれば、放射性廃棄物を減らせるうえ、数年おきに燃料交換が必要な既存の原子炉と違い、最長で100年程度にわたり燃料交換の必要もないという。

 東芝は独自に「4S」と呼ばれる小型新型炉の実用化をめざしている。TWRと共通する技術も多いため、テラパワーとの提携に利点があるかを検討しているとみられる。ただ、極めて長い期間の核反応に耐えられる原子炉用素材の開発や、安全性の検証なども必要で、TWRの実用化に向けたハードルは高い。

二重被爆上映会PJT⑥

今後やることをまとめる。。

【目標】4月12日(月) 第3回実行委員会(ヒアリング内容をまとめる)

【小冊子作り】
① ヒアリング座談会をまとめる
 ★★☆ 印象に残ったことを抽出
 ★★★ 「音声→文書」の変換
       14日まで   声かけ(尾鷲本メンバー)
       製本の日    説明会、データ手渡し
       4月1週目まで 実行
 ★★★ 情報を整理して共有
       4月2週目   コアメンバー勉強会(小冊子の内容、ページ数決定)
② 残っている人を個別にヒアリング
 ★☆☆ 誰を個別にヒアリングするか抽出
       山本倭左武(福田)
       浜田さん父(福田)
       芝山宏  (福田)
       糸川昭二 (浜野)
       内山よしお(浜野)
       松井勝嘉 (青木)
 ★★★ 実行
 ★★★ 情報共有できる文書を作成
       4月2週目   コアメンバー勉強会で共有
③ 写真集め
 ★★☆ 尾鷲小学校の資料を見せてもらう (福田)
 ★☆☆ 塩崎さんの収穫を聞く      (浜野)
  (その他情報 長野市長の息子 糸川写真館 神保幸子さんのタンスに銃弾の跡)

【小中学校授業とコラボ】
① 計画を具体化する
 ★☆☆ コラボできる人数規模を決める
 ★☆☆ 何とコラボするのかえを決める
② お願いに行く
 ★★☆ 実行
       学校教育とのコラボは端無さんが担当

【第3回実行委員会の会場設定】
 4月12日(月)午後7〜9時
 熊野古道センター・和室を予定
 ★★☆ 場所を予約する    (端無)
 ★★☆ 案内文書を作る    (端無)
 ★★☆ 実行委員会に案内する (各自)

NST(栄養サポートチーム)


NST : Nutrition Support Team

 栄養管理で患者の状態を改善することを目指す医療チーム
 医師、看護士、栄養士などがチームを組んで対等に考える。
「患者が自分で口から食べることを目指して栄養を管理する」(経口摂取を目指す)

【NSTの仕組み】

① 栄養スクリーニング
 栄養治療が必要かを決める

② 栄養アセスメント
 静的アセスメント:身体計測や血清総タンパク値(アルブミン)のように
          比較的代謝回転の遅い指標
         (長期的な効果判定)
 動的アセスメント:窒素バランスによるタンパク代謝回転率や間接熱量測定による
          エネルギー代謝動態など経時的な変動を評価
         (短期的な効果判定)
 予後判定アセスメント:複数の栄養指標を組合わせて栄養障害の危険度を判定

 栄養障害の程度の診断、栄養療法の適応、処方の決定、効果の判定
 入院患者の身長や体重、上腕周囲長・上腕三頭筋皮下脂肪厚の測定や血液検査、
 問診表で体重の変化や食事の摂取状況、消化器症状などを確認する

 アセスメントの結果をもとに栄養状態を評価し、必要栄養量を計算する
 現在摂っている栄養量を計算して不足分を割り出す
 栄養療法が必要かどうかを検討する

③ カンファレンス
 週に1回集まって会議

④ NST回診
 週に1回患者の体重を測定し、必要カロリーを計算し直す
 リハビリのメニューに合わせてカロリーを計算し直す

⑤ ランチタイム・ミーティング
 月、木の週2回、昼休みに昼食を食べながら1時間実施
 NST回診で問題になった症例や病院の問題点の討議、栄養管理の勉強など

⑥ コンサルテーション


【NSTチーム】

① 褥瘡チーム
 褥瘡(じゅうそう)は「床ずれ」のこと
 尾鷲総合病院の患者は高齢者が大半を占め、床ずれが多い

 床ずれ対策の第一歩は栄養管理を行うこと
 高齢者は必要カロリーが少ないが、微量栄養は必要

② 摂食・嚥下障害チーム
 2002年4月活動開始。ディレクターは作業療法士・矢賀信二さん
 摂食・嚥下とは、食物を認識して口に取り込み、胃に至るまでの一連の過程

 「経口摂取こそ最高の栄養法であり、栄養管理の最終目標だ」
 経静脈栄養(点滴) < 経腸栄養 < 経口栄養

 栄養管理士の世古容子さんが、摂食・嚥下障害食を開発した
 嚥下障害Tの活動により経口摂取できなかった患者ができるようになった

③ 呼吸療法チーム
 2003年4月活動開始。ディレクターは理学療法士・大川貴正さん

④ 生活習慣病対策チーム
 2001年12月設立。
 糖尿病教室などの生活習慣病教室を開催した

⑤ 病院食改善チーム
 病院食の味、盛り付け、食器の改善に取り組んだ。
 普通の食事を半分に減らして濃厚流動食を提供する「ハーフ食」の導入


【時系列】
 2000年 1月 東口高志医師が尾鷲総合病院に外科部長として赴任
     7月 NST稼働開始。褥瘡チームを設立
     9月 「ハーフ食」を導入
 2001年12月 生活習慣病対策チームを設立
 2002年 4月 摂食・嚥下障害チーム稼働開始
 2003年 4月 呼吸療法チーム稼働開始
 2006年 4月 診療報酬を改定し、栄養管理実施加算を新設
----------

これまでは栄養士が患者と接することは少なかった。

① 口の中の雑菌を取り除く
② 30秒で3回唾液を飲み込めるか(筋力チェック)
③ 飲み込んだ唾液がのどに詰まっていないかを確認

喉の筋肉が衰えると、食道ではなく気管に食べ物が入って肺炎になる。
とろみをつけてゼリー状の入院食を開発した。
 (お茶ゼリー、魚ゼリー、大根のぬか漬けをゼリー状に)
口からの飲食が無理だと判断された7割が可能になった。

腸に食べ物が通ることに意味がある。
食べ物が通過するときに異物(細菌)も通過し、柔毛の免疫細胞が活性化する

点滴は血管に直接栄養を流し込む。
長期間点滴に頼り絶食を続けると、腸が使われなくなるため、
柔毛が短くなって免疫細胞が活性化されなくなり、体の免疫力が低下する
「腸が元気な患者は、できるだけ腸を利用するのが良い」

【効果】
① 床ずれが減った(栄養状態が悪くなると皮膚が弱くなる)
② 院内感染が大幅に減少(40%減少)

【診療報酬】
 以前は医療保険の診療報酬が得られなかった。
 現在は・・・

【メリット】
 患者の入院期間が短縮された → 収入増
 ① 入院期間が短くなるほど、1日当たりの診療報酬が上がる
 ② 空いたベッドに新しい患者を受け入れられる

【グラフ】
 平均入院日数の推移
 床ずれ患者
 院内感染

二重被爆上映会PJT⑤

テーマ別に情報を整理してみる。

① B29の集結
 1944(昭和19)年12月13日(19日?)
 中部、近畿地方へ空爆に向かうB29(1機)が初めて尾鷲上空を通過。
 その後は毎晩のように300〜400機が集結した。

② 中川牧場への空爆
 1945(昭和20年)4月7日
 初めての空爆。1回目は海岸沿いに11発、2回目は中川に12発を投下。
 中川牧場の主人が爆死。子どもは両足がなくなった。
 2人が死亡、数人が負傷、乳牛12頭が犠牲になった。
 牛舎を軍需工場に見間違えたのか、機体を軽くするために残った爆弾を捨てたのか原因はわからない。

 2回目の空爆は向井と北側沿いに投下。向井の山道で一人死亡。山火事が発生した。

③ 軍艦「駒橋」の配備
 軍艦「駒橋」を指揮艦として、第45海防艦、第14駆潜艇、特別駆潜艇2隻の計5隻を尾鷲湾の基地に配備。
 第26掃海艇の4隻を配下に吸収し「海軍熊野部隊」を編成した。

 駒橋(1125㌧)長さは64m、幅10.7m、速力14ノット
 駆潜艇(438㌧)長さ51m、幅6.7m、速力16ノット、乗員68人
 掃海艇 西大洋漁業第18幡州丸(264㌧)

 尾鷲湾にすべての船が集まっていると攻撃目標になるので、一部は須賀利湾に分散した。
 一部の船は船首に爆薬を装填。敵の鑑定が接近した場合は体当たりする「海の特攻隊」の準備を進めていた。

④ 駒橋への奇襲攻撃
 1945(昭和20)年7月28日午前7時ごろ
 米軍のグラマン戦闘機が6機編成で佐波留島上空に現れ、3機は尾鷲湾、3機は須賀利湾の鑑定に奇襲攻撃
 午後4時ごろまで30分間隔で波状攻撃。気銃弾の雨とロケット爆弾を投下してきた。
 軍艦「駒橋」は爆弾を受け浸水。沈没を免れるために国市の浜に座礁した。
 第45海防艦も大破し、天満浦・古里の浜に座礁した。
 尾鷲の住民は中村山防空壕をはじめ各避難所に避難。須賀利の住民は裏山に避難した。

 戦闘で即死した戦死者は72人で、重軽傷者は250人。
 負傷者は中村山の防空壕内で応急手当を受け、尾鷲国民学校(現尾鷲小学校)に収容された。
 十分な治療ができず死者が続出し、死者は147人にのぼった。

⑤ 防空壕での生活
 駒橋が奇襲攻撃を受けた次の日、
 中村山の防空壕には夜明けごろから満員で呼吸困難。
 腹が減ったが朝食を炊くと煙が出るので、配給された米を生でかんだ。

⑥ 住民が消火訓練
 米軍が遠州灘から熊野灘にかけて上陸するとの噂が流れた。
 住民はバケツリレーによる防火訓練や竹槍の作成、戦闘訓練を強いられた。

⑦ 三野瀬駅の汽車襲撃
 1945(昭和20)年7月25日
 三野瀬駅に停車していた上下線の2列車に機銃掃射。
 死傷人数は13人(紀伊長島の記録)、60人(尾鷲市の記録)

 山本昇吾さんは当時尾鷲中4年生の15歳。
 松阪市の住友の軍需工場で働いていた。
 月に1回、尾鷲に帰省し、再び松阪市へ向かう途中だった。

 「助けて、助けて」。
 血だらけで顔が真っ赤の女性が、赤ちゃんを抱えている。
 額には頭上から弾薬が突き抜けた穴があり、おびただしい血が出ている。
 赤ちゃんの顔も母親の血で真っ赤に染まり、泣きじゃくっている。
 「私はもう目が見えん。子どもが大丈夫か見てくれ」。母親は叫んだ。
 「大丈夫です」。山本が答えると、母親の口元がゆるんで笑みを見せた。

 山本は母親を背負って運び警防団に引き渡した。
 尾鷲市の病院に運ばれたが、その後亡くなった。

 「弾が突き抜けているのに突っ立っとった。母親が子を思う心はすごい」。

クローンメモ

ここ数日かで右の尻に多量の膿みが溜まり、手術以来の激痛が走る。

考えられる原因は最近の食生活の乱れ。

9日  焼き鳥、焼酎
11日 天丼、焼き肉(松阪牛)
12日 マック
13日 カキ食い放題

油、揚げ物、アルコール、カキは要注意。

14日の便をきっかけに膿みが漏れだして痛みが取れてきたが、
①近いうちに病院へ行こう。
②ペンタサを服用しよう。
③座薬は毎日

膿みが溜まりやすい食品のリストを作りたい。
どこかにまとまっていないだろうか。

Jobsのプレゼン解析

1. テーマを示す


 "There is something in the air today." という言葉でJobsはMacWorldを始めた。そうやって彼はプレゼンのテーマを示し、超薄型のMacBook Airのようなキーとなる製品のヒントを出す。全てのプレゼンにはテーマが必要だが、あなたは最初にそれを示さない。去年、ジョブズは”今日、アップルは電話を再発明する"と伝えた。一度テーマを決めたら、プレゼン中に数回テーマを伝えよう。

2. 意気込みを表す

 ジョブズはコンピュータ・デザインに熱意を表す。彼はプレゼン中、「驚くべき」「凄い」「クール」のような言葉を使う。iPhoneの新しいロケーション機能をデモした時には「無茶苦茶便利だ。」と。多くの演者はプレゼンに粋を加える余地がある。

 忘れないで欲しいことは、聴衆は驚きたいのであって、眠りたいわけではないこと。次回にプレゼンを作成もしくは伝えるとき、あなた自身の個性を吹き込むことを考えて欲しい。あなたが製品の特徴を素晴らしいと思うのなら、そう言おう。多くの演者はプレゼンモードになって、面白い話を削るべきだと考えてしまう。あなた自身に製品やサービスへの熱意がないのなら、聴衆に期待しても無駄だ。

3. アウトラインを示す

 ジョブズは「今日話したいことが4つあります。はじめに・・・」と言ってプレゼンのアウトラインを伝えた。ジョブズは口頭とトランジションを使って明確に話題を切り替えた。例えば、iPhoneの新機能を説明した後、「iPhoneは立ち止まらない。もっと、もっと、もっと良くしていきます。これが今日紹介する2つ目の話です。3つ目はiTunesについてです。」リストを作り、聴衆に途中でどの部分を話しているか示そう。

4. 数字に意味を持たせる


 ジョブズは、400万台のiPhoneを販売したと単に言うだけでなく、「毎日2万台のiPhoneが売れている計算になる。」と付け加えた。ジョブズはさらに「市場全体でどうか?」と続け、米国スマートフォン市場を分析し、アップルのシェアを印象的な数字として紹介した。さらにジョブズはアップルのシェアが続く3競合の合計と同じであることを示した。背景をもった数字でなければあまり意味をなさない。聴衆に点を繋げさせよう。 (*connect the dots = ジョブズのスピーチより)

5. 記憶に残る瞬間を作る

 聴衆だれもが話題にするような瞬間。ジョブズの全てのプレゼンには一つの山場がある。今年の基調講演だとMacBook Airの紹介だ。どれだけ薄いか、ジョブズは封筒に入ることを示した。

 ジョブズはマニラ封筒を開け、皆に見えるようにラップトップを取り出し、喝采を浴びた。あなたのプレゼンで記憶に残る瞬間はどこですか?そこを意識して、作り上げよう。

6. 視覚的なスライドを創る


 多くの演者がデータやテキストやチャートでスライドを埋めるのに対して、ジョブズはそうしない。ごく僅かなテキストしかない。大部分のスライドはシンプルで、一つのイメージしか示さない。例えば「今日話したいことの一つ目は・・・」という彼のフレーズでは、数字の1というスライドだった。

 そう、数字だけ。ジョブズがiPhoneのような特殊な製品について話すとき、聴衆には製品の画像1枚だけだ。テキストを出すときは、画像の右横に3つか4つの単語でできた短い文で示している。時にスライドに画像が無く、"There is something in the air."のように示す。講演ではより視覚的な画像で表現する傾向にある。優れた縁者は要点を少なく、画像を大きくしている。

7. ショーとして伝える

 ジョブズのプレゼンには、起伏、主旋律と一時的転調がある。簡単な紹介をする代わりにショーを見せて以来、ジョブズはビデオクリップやデモ、そしてゲストとの競演を取り入れている。先日の基調講演ではFox CEO、Jim GianopulosやIntel CEO、Paul Otelliniが話した。マルチメディアを取り入れたり、製品デモや、他の人に少し話させることによって、あなたのプレゼンを強化しよう。

8. 小さな事に動揺しない

 周到な準備にも関わらず、基調講演で上手くいかないかもしれない。ジョブズがウェブサイトの画像を表示しようとしたが、できなかった。ジョブズは微笑んで「ん〜、今日はFlickrが写真を表示しないようだ。」と言い、今紹介した新機能をまとめた。それだけ。たいした事ではない。(*That's it. It was no big deal. =これもジョブズのスピーチから?)ちょっとした問題で演者が混乱することがある。小さな事で動揺しないで。楽しもう。動揺しないかぎり、ほとんどの人は覚えてない。

9. メリットを売り込む

 多くの演者は製品機能を売り込もうとするが、ジョブズはメリットを売り込む。iTunes ムービーレンタルの紹介で、ジョブズは「映画を顧客に配信するより良い方法だと思う。」と言った。ジョブズはメリットを説明して、「人々が音楽を所有することを望んだので、我々は音楽のレンタルをやらなかった。あなたは好きな曲を人生で数千回も聴くでしょう。しかし、映画は数回です。つまりレンタルが優れているのです。安くて、HDDの容量も取らないから。」

 聴衆は常に「私にとってのメリットは?」と自問している。その質問に答えよう。彼らに推測させないで。全てのサービス、機能、製品のメリットを明確に伝えよう。

10. リハーサル、リハーサル、リハーサル

 ジョブズも何時間ものリハーサルなしでは、ビデオクリップやデモ、外部の演者などの複雑なプレゼンを上手くはできない。私はアップル社員から、ジョブズが長時間にもわたって声を出しリハーサルをしていると聞いた。何ごともタダでは手に入らない。MacWorldのプレゼンで、彼の言葉がスライドの画像やテキストと完璧にシンクロするのをみれば、リハーサルしているのが分かる。

 ジョブズが新しいiTunes ムービーレンタルで配信する映画の例をあげるとき、話すと同時にその映画のポスターが表示された。プレゼン全ては調整済み。スティーブ・ジョブズのプレゼンが苦もなくみえるのは、リハーサルしてるからだ。

二重被爆上映会PJT④

【第2回コアメンバーMTG】
 日程  2月6日午後8〜10時
 場所  お好み焼き店「エンゼル」
 参加者 福田 端無 浜野 青木

■ 内容
  第1回実行委員会の流れを確認する

■ 第1回実行委員会の流れ
 企画を思い立った経緯を説明
 報ステの映像を見る
 企画の説明
 (目的、内容、日程、場所、上映回数、動員目標、料金プラン)
 予算の説明
 協力してもらいたいことの説明
 今後の流れの説明
 今集まっている情報の紹介(参加型)
 ヒアリング予定の人を挙げる(参加型)

■ 目的
 ①尾鷲市で起こった戦災の事実をまとめたい
 ②子どもたちに故郷で戦争があったことを伝えたい
 ③映画「二重被爆」を多くの人に見てもらいたい

■ 内容
 ①映画「二重被爆」の上映会(60min)
 ②東紀州地域の戦争体験談を編集した小冊子の作成
 ③東紀州地域の戦争にまつわる展示
 ④戦争体験談を語る会(60min)

■ 詳細
 日程    6月中旬の土曜日(授業とコラボで来たら金、土曜日)
 場所    熊野古道センター・映像ホール(収容可能人数・100人)
 上映回数  3回
 動員目標  200人(+小中学生)
 料金プラン 前売り 1000円
       当日  1200円
       (小中学生・無料) (老人クラブ・800円(小冊子付き))

■ 予算
【支出】
 上映料金      5万円(1日複数回OK)
 場所代     3000円(後1〜5・後6〜10)6000円(前9〜後10)
 チラシ代     200円(B5・100枚)×10=2000円(1000枚)
 ポスター代    200円(B2・1枚)  ×10=2000円(10枚)
 パンフ制作代 45000円(16P・A4・300部)
        65000円(20P・A4・300部)
        75000円(24P・A4・300部)

【収入】
 客単価1000円 × 目標人数200人 = 20万円
 小冊子 300円 × 目標購買100部 =  3万円

■ 協力してもらいたいこと
 ①戦争を知る人を紹介してほしい
 ②ヒアリング取材に参加してほしい
 ③小中学生の平和教育につなげるお手伝いをしてほしい
 ④語り部をしてくれそうな人を紹介してほしい
 ⑤戦争にまつわる資料提供

■ 今後の流れ
 ■2月8日  第1回実行委員会(企画の説明)
 ■3月1週目 第2回実行委員会(ヒアリング座談会)
 ■4月3週目 第3回実行委員会(ヒアリング内容をまとめる)
 □5月中旬  小冊子のデータ完成
 □5月下旬  小冊子の印刷
 ■6月上旬  第4回実行委員会(本番前の打ち合わせ)
 □6月中旬  上映会
 (■が実行委員に関わってほしいこと)

■ ヒアリング調査
 3月上旬にできるだけ大勢の人を集めて「ヒアリング座談会」を1回開く
 座談会形式で戦争当時を振り返ってもらう
 音声、写真、映像で記録
 座談会の様子はそのまま紙面化する
 参加できなかった人は後日単独でフォローする
 4月中旬にヒアリング内容をまとめる

■ 今集まっている情報




■ ヒアリング予定の人
 老人クラブ「中陽会」
 矢浜公民館講座「すずめの学校」
 紀北町の阿部教育長のお父さん(元海軍)
 紀北平和を守る会(浜口さん・焼き物、川端守さん)
 万助屋・山本昇吾さん
 尾鷲海上保安部

二重被爆上映会PJT③

【内容】
 企画を思い立った経緯を説明
 報ステを見る
 企画の目的
 企画の内容
 企画の詳細(日程、場所、動員目標)
 やってもらいたいこと
 具体的にどう進めるか
 ヒアリングすべき人を挙げる

【ヒアリングする人】
 老人クラブ「中陽会」
 矢浜公民館講座「すずめの学校」
 紀北町の阿部教育長のお父さん(元海軍)
 紀北平和を守る会(浜口さん・焼き物、川端守さん)
 万助屋・山本昇吾さん
 尾鷲海上保安部
 
【調べたい資料】
 尾鷲市史
 旧白浦小学校の聞き取り調査

 
 

大阪でハチミツ

□ 知り合いの元同僚が、昨年12月に大阪にカフェをオープンしたと聞いたので遊びにいった。和歌山県出身で実家は養蜂場を経営。和歌山県と北海道でハチミツを作っている。カフェはそこで採れたハチミツを使ったスイーツがウリみたいだ。

 地下鉄宝塚線・岡町駅を下りて徒歩10分。マンションの一階にガラス張りの店はあった。「久しぶりー」と元気な声が聞こえる。名前は北原さん。大阪が似合いそうな豪快な人だ。カフェの入り口には大小のビンに入れられた黄金色のハチミツが並んでいた。「ハゼ」「ミカン」「百花」「そば」の4種類の花の蜜を吸わせたものがあった。すべて色も味も違う。

 甘さや粘度が自分の持つハチミツのイメージに近かった「百花ハチミツ」を購入。朝食でパンに塗ったり、ヨーグルトに入れたりしよう。

□ その後は、吉本新喜劇を見に行く予定だったが、北原さんのマシンガントークが尽きず、間に合わなくなってしまった。なので本屋でミーツの「大阪本」を買って予定修正。心斎橋から難波まで歩き、たこ焼き屋をはしごすることに。一件目は道頓堀の「本家大たこ」。6個300円を購入して道頓堀川のほとりのベンチで食べる。風が冷たい。小振りなたこ焼きの中には大きなたこが入っていた。たこの占有率は80%を超えていただろう。濃いめのソースがかかっていた。店員は韓国語でも接客できるらしい。

 続いて難波の「会津屋」。12個400円。小振りなものをたくさんという店。たこ焼きの上にたれはかかっておらず、だしがかかっているみたいだ。

□ その後、大阪球場の跡地にできた新しいスポット「なんばパークス」。建築家は六本木ヒルズと同じジョン・ジャーディ。商、住の複合施設で、見れば見るほど六本木ヒルズに似ている。高い居住棟がそびえたち、要塞のように入り組んだ商業施設が買い物客の心を躍らせる。中には多くの店舗が入っており、ざっと見れる数ではない。

「二重被爆」上映会PJT②

【第1回MTG】
 1月22日(金)午後7時30分〜10時30分
 参加メンバー 福田 端無 浜野

 ■Idea
  体験談をまとめる範囲は実際は尾鷲だけでも、東紀州地域とPRし間口を広くする
  「小中学生は無料」「市老連は料金を半額」などターゲットを絞った料金設定
  無料の小中学生用に限定し午前中に上映する
  小中学校の授業とコラボ可能なら上映会を金、土の2日間に拡大し、金曜に呼ぶ
  小中学生には上映だけでなく、体験談も聞いてほしい
  防空壕Mapの作成

 ■今後の流れ
  24日まで  サブコアメンバー説明会の参加文書作成 → 端無
  24〜30日 文書を渡す

  
【第2回MTG】
  時間 2月8、9、10日午後7時からの選択制
  内容 サブコアメンバーを集めて説明会

 ■声を掛けるサブコアメンバー(15人くらい?)
  熊野古道センター 七見 世古 縣 高野 → 福田
  生涯学習     中央公民館 図書館  → 福田
  市老連      上村         → 福田
  矢浜公民館               → 浜野
  紀北教職員連合会            → 端無
  松井さん                → 青木

 ■内容
  企画意図を伝える
  企画内容を伝える


【第3回MTG】
 2月中旬
 実行委員会を組織する

「二重被爆」上映会PJT

【作品概要】
 1945年8月6日広島、8月9日長崎。わずか75時間、距離にして300キロしか離れていない2つの都市に原子爆弾が投下された。死者およそ20万人。現在でも30万人の人々が、原爆後遺症に悩まされている。その被爆者の中に、広島と長崎の両市で被爆した「二重被爆者」がいる。
 これまでの調査で、原爆投下後2週間以内に両市に入り、残留放射能を浴びた二重被爆者は165人、2度の原爆に直接遭遇した被爆者は9人いる事が確認された。二重被爆者の存在は歴史の中に埋もれたままで、あまり聞き取り調査はなされてこなかった。
 映画「二重被爆」は、7人の二重被爆者へのインタビューを通して原爆の悲惨さを浮かび上がらせる。
映画「二重被爆」のページ

【山口彊さん】
 1945年8月6日、出張先の広島で被爆し、その3日後、命からがら戻った長崎で再び被爆した山口彊(つとむ)さん。「二重被爆者」として核の廃絶と平和を訴え続けた。山口さんは、二度の被爆で左耳は聞こえなくなり、白血球の減少など、原爆症に苦しんだ。しかし、被爆者に対する差別や偏見は強く、家族を守るために自分が二重被爆者だと語ることはなかった。山口さんが被爆体験を語り始めたのは、終戦から60年目。きっかけは息子の死だった。

【日時】3月20日(土) 午後1〜5時 or 午後7〜8時
【場所】熊野古道センター・映像ホール(収容100人・午後1〜5、午後6〜10)
【主催】「二重被爆」上映会実行委員会

【内容】
 映画上映
 尾鷲での戦争体験者の体験談
 尾鷲での戦争体験のパネル展示
 尾鷲での戦争体験をまとめたパンフレット販売

【費用】
 上映料金      5万円(1日複数回OK)
 場所代     3000円(後1〜5・後6〜10)6000円(前9〜後10)
 チラシ代     200円(B5・100枚)×10=2000円(1000枚)
 ポスター代    200円(B2・1枚)  ×10=2000円(10枚)
 パンフ制作代 45000円(16P・A4・300部)
        65000円(20P・A4・300部)
        75000円(24P・A4・300部)

【料金プラン】
 前売り券  1000円
 当日券   1200円
 高校生    800円
 (中学生以下   無料)
 (市老連   500円)

【目標人数】200人

【前売り券の販売】カフェスケール 妙長寺

【広告】チラシ配布 ポスター貼る 知り合いに口コミ 新聞

【Idea】
 尾鷲での戦争体験者談を取材
 パンフレットにまとめる
 小中学校と連携

【地元にコミット】
 「尾鷲 巡洋艦が銃撃を受けて死傷者が出た。尾鷲の人が総出で救助」
 「熊野 列車が機銃掃射を受けて死傷者が出た」
 「サイパンに帰還するB29が、ナパーム爆弾を山に落として身を軽くした」
 「中井町周辺は水兵の駐屯に民家が割り当てられていた」
 地元での被災体験談
 写真などのパネル展示

【中陽会】
 尾鷲小の座談会の取材で出会った。
 「戦時中に津波が町を襲った」
 「中川のほとりに爆弾を落とされて多くの牛が死んだ」
 「防空壕で過ごした。塩を指につけて歯を磨いた」

【First Step】
 ■第1回MTG
 1月22日(金)午後7時30分から
 コアメンバーの情報共有
 日時、場所、料金プランの決定

 ■事務局に連絡
  1日2回の場合の値段は?
  前もって視聴したい場合は?

 ■取材活動
  市教委に資料がないか聞きにいく
  松井さんに聞き取り
  チケットの作成
  中陽会にコンタクト 

DAYS JAPANイベント

【広河隆一報告会inみえ】
<上関原発反対!がんばれ祝島! 三重からエールを送る会>
日時  2月14日(日)9:30~12:00
場所  みえ市民活動ボランティアセンターイベントホール
主催  広河隆一報告会inみえ 実行委員会
参加費 500円
連絡先 〒514-0027 三重県津市大門7-15 津センターパレス4F
TEL&FAX 059-229-3078
E-mail syashinten@za.ztv.ne.jp

【広河隆一報告会 <祝島-上関原発建設を拒否する人々>】
日時  2月14日(日)13時半開場 14:00~16:00
場所  名古屋市女性会館2階 視聴覚室
内容  13:30    開場
    14:00~15:30 広河編集長による祝島報告
    15:30~16:00 質疑応答
主催  DAYS JAPANサポーターズクラブ名古屋
協力  特定非営利活動法人広河隆一非核・平和写真展開催を支援する会
参加費 500円
連絡先 メール  v-nagoya@daysjapan.net

【広河さんからのメッセージ】
 だまし討ち的に強行される中国電力の埋め立て工事が行われて、現地では緊張が走っています。自然を守るために1000回以上のデモを続けてきた島民を孤立させないために、私たちに何ができるか。現地スライドによる報告を交えて、考えたいと思います。彼らのたたかいで守ろうとしているものは、私たちの守らなければならないものでもあるはずです。

理系から記者を志した理由

【物理学に進学した理由】
 映画「アルマゲドン」の管制塔のシーンに憧れた。
 自分の生きている宇宙のこと、自然界のことを知りたかった。知的好奇心。

【就職を向かえて】
 就職=社会とのつながり 社会に向けて発信する。
 物理学→学問を利用してものづくりで世の中を便利にする

 「知りたい」という知的好奇心で物理学に進学した。
 就職というターニングポイントを向かえて考えたが、
 「ものづくりで世の中を便利にしたい」とはあまり思わなかった。

 それよりは知的好奇心のフィールドを広げて、社会の仕組みを知りたい。
 「理系の知識を生かして、分かったことを伝えたい」と強く思った。

大きな愛

マザーテレサの言葉

「どんなに小さくてもいいから1日のうちに1つ愛を配りなさい」

「私は大きなことはできませんが、小さなことを大きな愛をもってするだけです」

人の心を動かす文章術

【第1章】文章を書くのはテクニックである
 文章を書くということは、自転車に乗ることと同じようなものだ。

【第2章】人と違った文章を書くのがおもしろい
「面白い文章の条件」
 特異な立場や情報、体験に基づく文章
 人と違った意見や根拠、感想、ものの見方、疑問、指摘をしている文章
「自分らしい文章を書くためには」
 最後に道徳的な意見でまとめない
 一般的な考え方を否定してみる
 全員に同感されることを目指さない
 テーマを1つに絞って書く
 自分の立場を明確にする

【第3章】文章の型を利用する
「起承転結」
 ①予告    「いまからこんなことを書きます」
 ②エピソード 「1つの出来事を中心に具体的に語る」
 ③展開    「エピから得た印象や考えなどを深く鋭く書く」
 ④まとめ   「全体のまとめ」
「書き始める前にコンテを作る」

【第4章】書き出しで読み手を引きつける
 書き出しを工夫すること。自分自身を乗せて書くためにも出だしが肝心。
「書き出しのパターン」
 ①動きのある文
  擬音で始める「ドシン」「トントントン」
  会話で始める
  動きのある行為から始める(事件のまっただ中に読み手を投げ込む)
 ②読み手の意表をつく
  アブノーマルな状況から始める
  ほのめかす 「あの日のことは今でも忘れない」
  逆説で始める(常識に反する意見や感想をずばり書き出しで言う)
 ③正攻法で書き始める
  格言や人生訓で始める(道徳を語るとつまらなくなるので注意)
  正統的な書き出し(5W1Hをの設定を明確にする)「私が8歳のときのことだ」

【第5章】リアリティを出す
「リアリティを演出するテクニック」
 ①具体的に詳しく描写する
 ②現在形を使う 臨場感が出る
 ③体験者でないと気づかない細部の描写(色、匂い、音、味、感触などの五感)
 ④読み手に発見させるように書く 「彼は優しい人間だ」と直接書かずに、具体的エピソードを用いて暗に伝える
 ⑤状態ではなく動きを書く 「このような花だった」→「こんな花が揺れた」
 ⑥会話体を取り入れる
 ⑦自らを省みる 「もしかしたら自分は間違っているのかもしれない」
 ⑧遊びを加える
 ⑨思い切って省略する
 ⑩少し悪い心を書き入れる 「ちょっぴり嫉妬を感じたが・・・」
 ⑪口語体をまぜる(筆者の生の声を加える)

【第6章】描写したり、形容したりする楽しさ
「表現の工夫で面白さがアップする」
 修飾語が少ないと状況がはっきりと理解できるが、雰囲気が伝わらず潤いのない文章になる。
 修飾語を使うことで、気持ちや情景の雰囲気を伝えることができる。
「修飾語を使うときの注意点」
 ①ありふれた修飾語は使わない
 ②5割増で大げさに
「効果的な修飾語のテクニック」
 ①重ね言葉 「まるまる」「くどくど」「てくてく」「とぼとぼ」「しとしと」「らんらん」
 ②和語 「いささかも」「ほんのわずかの」「おびただしい」「ふんだんに」「たんまりと」
 ③接頭語のついた形容詞 「ほのじろい」「薄ら寒い」「薄汚い」
「比喩表現を用いる」
 状況がありありと目に浮かび、本質をえぐり出すこともできる。
 ①直喩 「まるで?のように・・・」
 ②隠喩 「まるで?のように・・・」と言わない比喩
 ③擬人法 生物や物を人間に例える「桜は春が来るのを待っているかのように・・・」
 ④アナロジー 身近な物に例えることで分かりやすくなる「文章を書くことは、自転車に乗るようなものだ」
「感情を移入させるテクニック」
 主人公の気持ちを自然の風景によって表す。実際に心情を描写するより理解されることがある。
 「雨が庭の木を濡らして、犬小屋に伝わっていた」「窓から外を見た。山はもう紅葉しかけていた」

【第7章】リズムのいい文体、メリハリのある文体
 敬体「です・ます」、常体「だ・である」の使い分け
 特定の人に呼びかけるときは敬体、不特定の人物に対して公的に書くときには常体を用いるのが原則
 文章をゆっくり読んでほしいときには敬体、速めに読んでほしいときには常体を用いる
「リズムをよくするテクニック」
 ①1つの文を短くする
 ②対句 二拍子にして並べて書く「本を読んだり、テレビを見たりして過ごす」
 ③文末を多様にする
 ④盛り上げる言葉を加える 「なんと」「驚いたことに」
 ⑤倒置
「メリハリをつけるテクニック」
 ①遠景と近景を使い分ける 何かを語り始めるときに大きな視野を示してから、徐々に細部を書く。大自然を描写してから細かい描写を書く。
 ②クローズアップとスローモーション 強調したい事柄を言うときは、同じ意味の文章を繰り返し浮き立たせる。
 ③文の長短 一文を短くするとゆったり、短い文で畳み掛けると緊迫感をかき立てる
 ④和語と漢語、外来語とカタカナの使い分け
 ⑤会話で気分を変える 地の文と会話の文のバランス。
 ⑤自由間接話法 「 」を使わずに、地の文章にせりふを加える方法

原発解体

 火力発電所に比べて二酸化炭素の排出が少なく、発電出力が大きいことで注目される原子力発電所。新たな建設が進む一方で、初期につくられた原発は役割を終えて解体され始めている。世界で閉鎖された数は既に120基余り。日本でも「ふげん」「東海発電所」の2つが解体に着手した。

 日本原子力研究開発機構の新型転換炉「ふげん」(福井県敦賀市明神町)は2003年3月で運転を終えていた。08年2月、国から廃炉に向けた作業計画の認可を受け、「原子炉廃止措置研究開発センター」と名を改めた。現在は放射能汚染レベルが低い給水加熱器や配管などの解体撤去、重水の回収・搬出といった作業を進めている。計画では、原子炉本体の解体に着手するのは約9年後で、すべてを撤去して更地にするのは28年度。ふげんの本格運転期間は24年だったが、同じくらいの年月をかけて無に帰されることになる。

 若狭湾エネルギー研究センター(同市長谷)は、機器や配管の放射能除去、原子炉設備の切断に、「レーザー技術を応用する」研究を進めている。18年度頃から原子炉の解体を本格化する予定だが、放射化した金属の粉じんで作業員が被曝することを防ぐため、切断作業は水中で行う方針を決めている。レーザーを用いれば作業が早く進み、粉じんも舞い上がらないといったメリットがあるという。ふげんで近く、放射能を帯びた配管表面をレーザーで薄く削り取り、放射性廃棄物を減らす実験を行う予定だ。同センター研究開発部長の峰原英介(61)は「廃炉用に開発した技術は様々な産業で使える。ふげんは技術実証の貴重な実験場となる」と期待する。

 地元の産業界も新たな雇用機会として関心を寄せる。同センターで05年度から7回開かれた廃炉作業に関する企業研修には、20社から28人が参加。放射線管理下での作業実習も行われた。

【課題】
①放射性廃棄物最終処分場が決まっていない



【人】
 若狭湾エネルギー研究センター・エネルギ開発G 重田達雄
 原子炉解体粉塵の抑制に関する研究

【Link】
 原子炉廃止措置研究開発センター
 若狭湾エネルギー研究センター

MSC認証

 海のエコラベル「MSC認証」は、海の環境を保全しながら、天然の海産物の持続的な利用を実現する海産物製品を認証する仕組み。MSCはMarine Stewardship Council(海洋管理協議会)の略。1997年にWWF (世界自然保護基金)と英蘭系ユニリーバが立ち上げ、その後独立してNPOになった。09年2月現在で、認証製品は約1000品目。持続可能な漁業を認証し①資源を枯渇させない②海の生態系や多様性を維持する③法律を遵守するという3原則を定めている。

 京都府機船底引き網漁業連合会は国内漁業者として初めてMSC漁業認証を申請。08年9月にズワイガニとアカガレイで漁で認証を取得した。700万円の認証費用の半分を京都府が助成した。

 東京・築地市場の亀和商店は約100万円を投資し、MSCのCoC認証(認証品を分別管理できることを保証したもの)を取得。 MSCのロゴマークの年間使用量や売り上げの0.1%を事務局に払い続けている。それでも「顧客へのセールストークになる」と期待している。

 米アラスカ州政府は州内での商業サーモン漁全体に対してMSC認証を取得している。

漁業方法

①定置網漁
 魚が来遊する期間または周年において網を一定の場所に常設し、魚群を漁具内部に滞留させる漁法。仕掛けは垣網、囲い網、運動場、昇り網、箱網などからなる。

②底引き網漁
 海中の底層魚を網で曳く漁法。沖合底びき網(15トン以上の漁船)と小型底びき網(15トン未満の漁船)に分けられる。

③巻き網漁
 2隻の漁船で魚群を取り巻いて魚網を敏速に張り漁獲する漁法。

原発高齢化問題


 敦賀原子力発電所1号機(福井県・35.7万kW)が2010年3月、商業用原発としては国内で初めて運転開始から40年を迎える。国内で運転から40年を迎える原発は14年末までに7基にのぼり、そのほとんどが運転を継続するとみられ、日本は「高齢原発時代」に入ることになる。

 原発の寿命について、国に特に規定はないが、電力各社は当初30~40年の運転を想定していた。しかし、原発の新規立地が難しく、増設にも地元同意に時間がかかることから、資源エネルギー庁は96年に「安全性を確認すれば60年運転しても健全性は確保できる」との判断を示していた。原子炉の性能は変わってないのに耐用年数だけを延ばした。

 経済産業省原子力安全・保安院は09年9月、敦賀原発1号機の10年間の継続運転を認可。日本原電は、3号機を運転開始する16年に、1号機の運転を停止すると決めた。

 運転延長に基づく定期検査は、当初は09年7月に終える予定だったが、制御棒駆動水圧系統の弁13台に傷を発見。補修のため4回も検査期間が延び、営業運転再開は半年遅れる見通しだ。

今後運転開始から40年を迎える原発
  ① 日本原電敦賀1号機   2010年3月
  ② 関西電力美浜1号機   2010年11月
  ③ 東京電力福島第一1号機 2011年3月
  ④ 関西電力美浜2号機   2012年7月
  ⑤ 中国電力島根1号機   2014年3月
  ⑥ 東京電力福島第一2号機 2014年7月
  ⑦ 関西電力高浜1号機   2014年11月

使いたい表現リスト

考える   〜を前に相を練っていた。
化粧をする 紅をさす
運転する  ハンドルを握る
演説する  マイクを握る

アクションプラン①

署回りの改善
 □【8日から】 平日は最低2日に1回は署に顔を出す
 □【8日から】 帰る前に必ず警電を掛ける

漁協ネットワーク形成
 □【15日まで】長野組合長に新年のあいさつ(連絡のお願い)
 □【15日まで】定置網協会、島勝、九鬼、梶賀各漁協にブリの連絡お願い
 □【今月中】  旬の魚リスト作成

木材市場ネットワーク形成
 ■【8日】   初市を取材

フェリー運航基準の記事
 □【15日まで】国交省が基準を設けた経緯を調べる
  【     】

記事スクラップ
 ■【15日まで】ScanSnap導入
 □【15日まで】朝日夕刊企画、読売医療ルネサンスのスクラップ開始
 ■【7日まで】 ワードリスト作成

祝島の取材
 □【8日まで】 島民の会の14〜16日の予定を聞く
 □【10日まで】これまでの経緯をブログにOutput

ビデオカメラの購入
 ■【7日】   価格.comで注文する

英語力の向上
 □【8日】   アメリカ口語教本を探してプランを立てる
  【     】

今の夢一覧

知識を深める
 原発のことを徹底的に調べたい
 医療のことを徹底的に調べたい
 気になる記事をスクラップしたい
 一次産業について詳しくなりたい
 日本史、世界史を知りたい
 文章がうまくなりたい

カフェ関連
 カフェをやりたい
 カフェの資本金を貯めたい

Action
 署回りを改善したい
 フェリー運航基準の記事を書きたい
 祝島に取材に行きたい

購入
 ビデオカメラを買いたい

Future
 原発についての本を出版したい   (35までに)
 ノンフィクション映画を撮りたい  (35までに)
 ビデオジャーナリストになりたい
 科学技術ジャーナリストになりたい
 ニュースキャスターになりたい

上杉隆


 1968年、福岡県生まれ。ジャーナリスト。都留文科大学卒業。鳩山邦夫の公設秘書を務めた後、ニューヨークタイムズ記者を経て現在フリー。著書に『宰相不在』(ダイヤモンド社)、『世襲議員のからくり』(文春新書)など。

 「記者クラブ問題」を追い続けている。

5月初め、公約した小沢代表が辞任してしまう。代わって5月16日の代表選で、鳩山由紀夫氏が選出された。「公約」を確実にするために筆者は、ホテルオークラで行われる代表就任会見に向かった。
再び、最前列の中央の席を確保して、会見の開始を待った。NHKの生放送も入り、国民の多くが注目しているこのチャンスを逃すわけにはいかない。知己の民主党職員に頼んで、予め指名を受けやすい席を押さえておいてもらった。

筆者は、通常は、記者クラブの幹事社の座る場所で高々と手を挙げて指名を待った。ところが、何度挙手しても一向に当てられない。実はその日の会見担当の党広報スタッフは、情報公開の精神など微塵も持ち合わせていないことで有名なI氏であった。前列の記者クラブのメンバーがすべて指名されても、フリーランスの筆者の番は回ってこない。遂には、居眠りしていた新聞記者までが指名されるに至ってようやくI氏の意図を理解した。筆者に当てるつもりはないのである。
と、そのとき予想外のことが起きた。壇上の鳩山代表が他の記者の質問の最中に、「上杉君は、何で当たらないの」とマイクを通して問い始めたのである。不思議そうに「何で」を繰り返す鳩山氏に、「避けられているんですよ」と筆者が答えると、ついに鳩山氏はI氏に向かって言い放ったのだ。

「何で上杉さんを指さない? 最初からずっと挙げてるじゃないか」

1問目に世襲問題を質問し、次に本題に移った。筆者は、小沢前代表の3月24日の「公約」を持ち出して、鳩山民主党が政権を取った場合も首相官邸の記者会見を開放するのかどうか、改めてその方針を質したのだ。これに対して鳩山氏はこう答えた。

「小沢前代表は大変いいことをしてくださいました。記者クラブの問題などもありますが、情報公開の見地からも、国民の知る権利からも、オープンは当然のことでありますから、どうぞ民主党が政権を取った暁には、上杉さんも官邸にお越しください」

あるもの探し


これからの過疎地域は自給自足、自立の道を歩んでいくのかもしれない。

 長崎・佐世保港からフェリーで約3時間の離島「小値賀島(おぢかじま)」。島の向かいの野崎島は9年前から無人島と化していた。07年、町は漁業と農業を体験しながら民家に宿泊する「民泊」を地域振興の柱にしようと決めた。毎年、米国の教育団体「People to People」のプログラムで米国人高校生百数十人を受け入れた。高校生の評価で小値賀町は07、08年と2年連続で世界一に選ばれた。

 これまで地方は「ないものねだり」をしてきたが、これからは「あるもの探し」が大切。地元にある歴史や文化という「資源」を生かすべきだ。

 尾鷲でも「漁村民泊」として応用できる。Hさんが「尾鷲のよい所は自給自足できること。尾鷲だけで事足りる」と話していた。エネルギーの自給自足を手助けする技術として「マイクロ水力発電」を提案したい。全国屈指の雨量を誇る尾鷲市にピッタリだ。

福井帰省計画

持って帰るもの
 コンタクト用品 お風呂用品 MacBook
 サイン 充電器 カメラ 整腸剤
 本 原発 筑紫哲也 (絶対内定)

家でやること
 ①新年我究プロジェクト
   これまでの経験を我究   ■
   ブログでブラッシュアップ ■
   過去のノートをチェック  □
   我究マインドマップの作成 □
 ②原発の本を読み終える    □
 ③故郷を写真に収める     ■

大学生からの「取材学」



 落語でいう「まくら」があった方が、かえって情報はたくさん入る。
話のまくらには間口の広い話によって相手を引き込む役割がある。
特別な演出は相手に緊張感を与えてしまうが、普通の話題は開放感をもたらす。
自分の見方で相手を見るのではなく、まず相手を肯定し言葉が発せられるのを待つ。
型にはまった結論めいたものを引き出すことを目的としない方がいい。
相手の気持ちに添うとは、ピリオドを打たないこと。

行きたい場所

熊野市 花の窟神社
 花の窟神社は日本書紀にも記されている日本最古の神社。神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。神々に舞を奉納し、日本一長いと言われる約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木に渡します。

紀宝町 神内神社
 神殿ではなく、背後の岩窟を御神体とする神社で、樹叢は県の天記然念物に指定されている。スギやヒノキ、ケヤキなどが生い茂り、巨岩が厳かな雰囲気を漂わせています。子安神社とも呼ばれ、安産の神様としても有名。

新宮市 神倉神社
 熊野速玉大社の摂社。山上には「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。2月6日には、たいまつを持ち白装束に身を包んだ男衆が538段の急な石段を駆け降りる火祭り「お燈まつり」がある。

年賀ジャンプ


新たなる出会いを求めてジャンプ
※台は朽ちたレールの一片です

元鉄工職人で、今はカフェ「スケール」を営む浜野さんからもらった年賀。
レールの上で、カエルが勢いよくジャンプしている。
錆びた鉄をお茶に浸しておくと、鮮やかな黒色に変化するという。

レールの上でもジャンプはできる。
地に足をつけてジャンプ。
大ジャンプの時期はいつになるのか。