二重被爆CMTG

①小冊子「尾鷲にも戦争があった」作成
 17日(月)校正
 17日の週に印刷お願い

②講演会の話し手を決める
 安部一美さん
 森本一利さん
 糸川昭二さん
 神保幸子さん

③講演会の進行役を決める
 上村さん
 世古さん
 七見さん

④広告戦略
 5月31日(月) 記者会見
 老人クラブ連合会での販売
 ポスター、A4チラシ
 ブログで告知

⑤ポスター、チラシを注文する

⑥A4チラシ、チケット作成
 4月20日(木)まで

⑦チラシに載せる情報
 日時
 場所
 内容
 料金
 チケット販売

⑧チケット販売
 スケール
 矢浜公民館
 熊野古道センター
 クリーム
 妙長寺
 夢古道おわせ
 (千や)
 (カッパ倶楽部)
 (Wink)

小冊子「尾鷲であった戦争」

【時系列で見る尾鷲の戦争】
①東南海地震・津波
 1944(昭和19)年12月7日午後1時36分
 P (2):郡役所に突っ込んだ写真、上空写真
 Fig(1):尾鷲周辺の地図(浸水場所、船が突っ込んだ場所を示す)
 北川に船が2隻突っ込んだ。
 安部さん「家とか船とか沖にいっぱいだった」
 ▶人:森本一利さん(85)体験談

②B29の集結
 1944(昭和19)年12月13日
 P,Figなし(さらっと)
 中部、近畿地方へ空爆に向かうB29(1機)が初めて尾鷲上空を通過。
 その後は毎晩のように300〜400機が集結した。

 海山の空襲
 1945(昭和20)年3月

③中川牧場への空爆
 1945(昭和20)年4月7日
 P (1):爆弾が落ちた中川の現在の写真
 Fig(1):中川牧場の位置を示す地図
 初めての空爆。1回目は海岸沿いに11発、2回目は中川に12発を投下。
 中川牧場の主人が爆死。子どもは両足がなくなった。
 2人が死亡、数人が負傷、乳牛12頭が犠牲になった。
 牛舎を軍需工場に見間違えたのか、機体を軽くするために残った爆弾を捨てたのか原因はわからない。
 2回目の空爆は向井と北側沿いに投下。向井の山道で一人死亡。山火事が発生した。

④三野瀬駅の汽車襲撃
 1945(昭和20)年7月25日
 P (2):山本さんの語る現在の写真、大漁旗作りの写真
 三野瀬駅に停車していた上下線の2列車に機銃掃射。
 死傷人数は13人(紀伊長島の記録)、60人(尾鷲市の記録)
 ▶人:山本昇吾さん( )尾鷲市●町 三野瀬駅で機銃掃射された

⑤駒橋の奇襲攻撃
 1945(昭和20)年7月28日午前7時ごろ
 P(6):駒橋座礁、第45海防艦座礁、駒橋、各人の写真
 尾鷲湾に配備された「海軍熊野部隊」 
 ▶人:安部一美さん( )尾鷲市南陽町 第10昭和丸の乗組員
 ▶人:神保幸子さん( )尾鷲市●町  通信員で空襲を経験
 ▶人:内山雄視さん( )尾鷲市光ケ丘 防空監視員


【ヒアリング座談会】(3P)
 戦争経験者の生の声を聞き、当時の生活をひも解く

⑥食料
 P(1):女性が開墾
 米俵を赤ん坊に見せかけて運んだ
 学校の校庭や山の頂上まで開墾した
 海藻をふやかして食べた

⑦防空壕での生活
 P (1):中村山防空壕
 Fig(2):目と耳を押さえる、赤ちゃんをあやす
 梅雨時は雨漏りがひどかった。
 蒸し暑く息苦しかった。
 赤ちゃんを泣かないようにさせるのが大変だった

⑧訓練の様子
 P(1):バケツリレーの練習風景
 Fig(1):「カツオ釣りか!」
 バケツリレーによる消火活動の練習
 竹槍、なぎなたの練習
 憲兵の怖さ


【現在も残る戦争の傷跡】
⑨防空壕マップ
 P(●):現在の防空壕を撮れただけ載せる

⑩今も残る戦争の傷跡
 P(3):各1枚ずつ
 三野瀬駅の汽車襲撃での弾痕
 三木崎灯台の空襲での弾痕
 慰霊碑

⑪戦争を調べる資料紹介


【付録】

⑫年表(尾鷲市史などを情報源とする)

科学はおもしろい

「科学はのおもしろさを伝えたい」。

科学番組は視聴率がとれないと言われている。
新聞でも科学を扱うページは少ない。

マスコミ業界に理系が少ない。
科学を知らない人には 科学を面白く伝えることは難しい。
面白く科学を伝えたい。

今の(マスコミが作り出した?)理系離れは非常に不利益だ。
「核融合」「超伝導」・・・
革新が待たれている未来に必要な技術は目の前にたくさんある。
人類の幸せのためにも理系人材を育てなくてはいけない。

「科学のおもしろさを伝えたい」。