「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ


この本で扱う「消費」とは、生きていくために必要ないものを欲すること。
「生産」を中心に回っていた社会が、「消費」が中心の社会に変わった。
「貧乏は美徳、金持ちはいかがわしい」という価値観が劇的に変わった。
消費者であることは、半ばは自分で選んでいるが、半ばは企業や市場にコントロールされている。

▼戦後の歴史は大きく3つに分けられる。
①戦後10年後〜オイルショック(1973年)高度経済成長期。経済成長率は9.1%。
②1973〜バブル崩壊(1991年)相対安定期。経済成長率は3〜4%。
③1991〜リーマン・ショック(2008年)低成長期。経済成長率は1%前後。

日本が生産中心の社会から、消費中心の社会に変わったのはいつか?
②のオイルショックからバブル崩壊の間。相対安定期ではないか。

▼変化のきっかけは?
・週休二日制。1980年代後半から10年ほどかけて導入された。
・労働者派遣法の改正
・コンビニの出現
週休二日制で働く時間が減って消費の時間が生まれ、
共同体や組織から分断された個人の働き口として、フリーターが生まれ、
コンビニが消費の受け皿になり、「アノマニスな消費者」が生まれた。

「生産」から「消費」に社会の中心が変わった。
「労働」から「お金」へ、価値の重心が移った。
「お金」は実態を持たない単な記号。
お金が中心になり、消費者は身体と名前を失ってアノマニスな存在になった。
商店街では顔と名前がある住人たちが、商品と情報を交換している。

▼企業から見る「消費化」とは
集団から個人に分断させて経済を発展させること。商品を多く売るために、地域も家族も細分化して「個人」を作り出し、「個人」の欲望を喚起して、消費者に仕立て上げてきた。それが「市場創造」。企業の「戦略」は、顔のない消費者を生み出し、その群れの中に欲望の餌を投げ込むこと。

人間は自由で匿名で流動的な社会で、幸福感や充実感を得られるのか?

▼会社は誰のもの?株主のもの?
株式会社は経済が拡大しなければ生きていけない。消費が増えて市場が拡大することを前提に、株式会社は成立している。日本では2005年から人口が減り始めた。労働人口に限ると1995年から減っている。人口は企業にとって市場そのもの。人口減少は市場の縮小を意味する。右肩上がりの経済成長ができなくなる。そうなると、株に投資する意味がなくなり、株式会社のシステムが存続できなくなる。

市場が飽和するのは必然。そこで大量にものを売るのは無理がある。しかし、企業は大量生産・大量消費のシステムから抜けだせずにいる。株式会社は自らの存続のために、どう見ても成長できないのに、判で押したように「経済成長」という。

なくても生活が困らないものを、欲望を喚起して買わせるのが「市場創造」。顧客の弱みにつけ込むような商売に熱心になっている。さもなくば、グローバリズム。発展の余地がある地域に市場を広げるため、参入障壁を排除しようとする。

政治家も政治資金を企業に依存しているので、同じことを言う。市場が永遠に拡大し続けることはない。最後はやけになった企業が戦争をするか、地球環境がもたなくなかもしれない。

文明がある程度進展すると、自由や独立を望む個人が増え、伝統的な家族形態が解体。
女性の自立、晩婚化、結婚をしない選択、核家族化などが進み、人口が減る。

▼ウォルマート(グローバルマーケット・巨大小売店)
キャッチフレーズは「Every Day, Low Price」。毎日安売り。最初は雇用が生まれ、安い商品が手に入るのでプラスの効果を生み出す。しかし、価格や品揃えで太刀打ちできない地域の個人商店が姿を消し、商品を納めていた地域の業者が次々と潰れていった。ある日、製造能力を超えたオーダーが寄せられる。仕方なく、近隣メーカーに製造を委託し、技術が流出してしまう。ウォルマートが技術を盗み、似たものを中国で安く製造。プライベートブランドの冠をつけて安く売り始める。

巨大な小売店は、非常に巨大な消費者でもある。仕入れ価格を叩いて大量に安く買い上げた商品を、消費者は安さに釣られて買う。その消費は、地場の産業や経済を破壊するのに加担することにつながる。売り手も買い手も安さを追求することが当たり前になり、住民と店舗をつないでいたゆるやかな共同体が失われ、まちが消費するだけの場所になってゆく。

それを防ぐには、消費者が「賢い消費」を実践するしかない。どこの店で何を買い、どういう生活を営むかは、地域の経済をつくる重要な意味がある。まちをつくるのは、その地域に暮らす消費者。消費者が自分たちの意志で、コミュニティを守らなければいけない。地元で買えるものはなるべく地元で手に入れるのが、ひとつの確かな道ではないか。

▼マズローの欲求5段階説
生存条件が満たされれば、自分を精神的に豊かにしてくれるものを欲する。私たちが必要だと思うものと、企業が売るものの間に、大きなミスマッチがある。人は他人と同じでありたいと思うと同時に、他人とは違っていたいと思う。このような矛盾した欲望が、消費社会を駆動させる。お金だけが人との違いを生み出す道具になってしまっている。人間を豊かにしてくれるのは、有益性だけではない。無益であっても、人間を成長させてくれる滋養物のようなものがある

▼多様性
いろいろな人間が普通に生きていけるのが「いい世の中」だと思う。人間は本来、多様性の中で生きてきた。これを一様にすることは、生きる力を弱めてしまう。多様な生き方、暮らし方を可能にする「小商い」。棲み分けを許容しないのが、グローバリズムの問題点。棲み分けながら両者の交流を保つのが、成熟社会の目指すべき方向性ではないか。

文化や産業、社会システムが異なる国どうしが、隣り合って存在できること。これが国家の多様性。グローバリズムとは、国家の多様性を否定すること。国民国家の枠組みよりも、グローバルビジネスの利便性を優先させるためのもの。グローバル企業が自らの利益を最大化させるための戦略でしかない。大量消費を続けることは、グローバル企業の手口に加担すること。

▼価値観
価値観を変えることで、消費行動を帰ることができるはず。そのカギを握るのが、生産者としての側面を回復すること。お金儲けをするのではなく、生きていくこと。生活に直結しない無駄な消費をやめるだけで、けっこう豊かな生活ができる。

▼小商い
儲けようとしない。自分たちが暮らしていくために、やれる範囲のことをやればいい。小商いの担い手と、店を支えるお客さんが、顔の見える関係を気づくのは重要。日本を支えているのは、少数の大企業ではなく、大多数の中小企業。小さな企業と小商いが、大きな儲けは得られずとも、着実に稼ぎを得られる循環をつくることが大切。昔は、多くの人が生きていけるように、仕事を分けあっていた。ワークシェアリング。

▼経済成長しない社会の再設計
お金というものさしでしか、成長の指標を考えられないのが問題。
目に見えない資産を発見して評価するシステムが必要。
まずは進歩や進化という概念から、自由になる必要がある。
進歩や進化を追求するのではなく、循環型のサステイナブル・コミュニティをつくろう。

▼縁
まわりに助けてくれる人がいれば、生きていける。