「論」も愉し


「論」も愉し

近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。

二〇〇八年夏 筑紫哲也