宇宙論の歴史

「天動説」から「地動説」へ


ポーランド出身の天文学者ニコラウス・コペルニクスが、
地球が宇宙の中心で、他の天体が地球の周りを公転しているとする「天動説」を覆し、
地球は太陽を中心に公転する惑星のひとつに過ぎないとする「地動説」を唱えた。
1543年の亡くなる直前に、「天体の回転について」を刊行した。
影響を恐れて死ぬ直前まで販売を許さなかった。



天体望遠鏡を夜空に向けた初めての夜


イタリアの物理学者ガリレオ・ガリレイは1609年、
天体望遠鏡を自分で作り、初めて夜空に向けた
同年に月の表面に凸凹があり、黒い部分があることを発見。
翌1610年に、後に「ガリレオ衛星」と呼ばれる、木星の4つの衛星を見つけた
観測結果をまとめた論文「星界の報告」を刊行し、天動説に一石を投じた。
また、金星の満ち欠けと太陽の黒点も発見した。
「落体の法則」
 物体が自由落下するときの時間は、落下する物体の質量には依存しない
 物体が落下するときに落ちる距離は、落下時間の2乗に比例する

惑星は楕円を描く


ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、
惑星の動きをまとめた「ケプラーの法則」を唱えた。
第1法則 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く
第2法則 惑星と太陽を結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定)
第3法則 惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する
1609年に、第1法則と第2法則を収めた「新天文学」を発表。
1627年に、ティコ・ブラーエのデータをまとめた天文表「ルドルフ表」を完成させた。

「天」と「地」の力学を統一


イングランドの自然哲学者アイザック・ニュートンは1687年、
古典力学の基礎となる「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)」を刊行。
地上と天上の力学を結びつける「万有引力の法則」を導いた。
「運動の法則」
第1法則 外力が加わらない限り、物体は静止または運動状態を維持する(慣性の法則)
第2法則 物体にはたらく力は、質量と加速度の積である(運動方程式)
第3法則 作用には向きが反対で同じ大きさの反作用がはたらく(作用・反作用の法則)
「万有引力の法則」(law of universal gravitation)
  物体には引力が生じ、その力は物体の質量に比例し、距離の2乗に反比例する

宇宙の膨張は加速している


アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが1929年、
天体観測により宇宙の膨張を確認
遠くの銀河の光がどれも、赤方偏移を起こしていることを発見した。
銀河が遠ざかる速度が、距離に比例することを発見
(遠くの星ほど、速い速度で遠ざかる・加速膨張)
地球からの距離だけでなく、ある銀河同士にも当てはまっていた。
宇宙全体が膨らんでいる!

宇宙の始まりは火の玉


アメリカの物理学者ジョージ・ガモフが1946年、
「宇宙の始まりは超高温・超高密度の火の玉」とする「ビッグバン宇宙論」を提案
初期の宇宙では波長の短い電磁波が出され、現在もその「残り火」があると考えた。
宇宙が膨張して温度が下がり、「マイクロ波」まで波長が長くなっていると予想した。
「宇宙マイクロ波背景放射」と呼ばれる。

宇宙背景放射を偶然に観測


アメリカのベル電話研究所(現在のベル研究所)の研究員
アーノ・ペンジアスロバート・W・ウィルソンが1964年、
偶然に宇宙マイクロ波背景放射を観測
アンテナの雑音を減らす研究中に、正体不明の雑音をキャッチした。
2人は1978年、宇宙マイクロ波背景放射の発見者として、ノーベル物理学賞を受賞した。

宇宙初期の温度の「ゆらぎ」を観測


NASAの天体物理学者ジョン・マザージョージ・スムートは1989〜1993年、
宇宙背景放射探査機「COBE」(Cosmic Background Explorer)を使い、
宇宙マイクロ波背景放射を精密に観測。
温度のわずかな「ゆらぎ」を測定し、ビッグバン宇宙論がより確実になった。
2006年にノーベル賞を受賞した。

宇宙は137億歳


NASAのウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機
WMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)」が、
2001年に打ち上げられ、「ゆらぎ」をより精密に測定。
そのほか、宇宙の年齢が137億年で、宇宙の直径が274億光年以上だと明らかにした。
また、宇宙全体にある暗黒物質の量もわかった
→小松英一郎・マックス・プランク宇宙物理学研究所所長、IPMU上級科学研究員